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パウル・クレー「クレーの日記」書評 欲望も絶望感も包み隠さずに

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2018年07月14日
クレーの日記 著者:パウル・クレー 出版社:みすず書房 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784622086611
発売⽇: 2018/05/09
サイズ: 23cm/519,51p

クレーの日記 [著]パウル・クレー [編]W・ケルステン

 日本でのクレー人気は高い。だが、定着は意外と遅い。「日記」が最初に翻訳されたのも、1961年に池袋の西武百貨店で開かれた日本で初の本格的な展覧会と同じ年に遡る。以降、この訳書は多くの読者を得て、長く版を重ねるロングセラーとなった。
 ところが、88年にドイツ語の新版が登場すると、旧版の役割は一変する。実は、もともとクレーは日付順に書いていない。草稿に様々な加筆修正を加え、改めて書き直していた。記述にも随所で異同が残されたままだった。クレーの息子、フェリックスによる旧版は、いわば日記文学として整理・編集されていたのだ。
 そうした恣意性を排除し「常に前進しつつあるパウル・クレー研究」のため、新版では残されたテキストが可能な限り忠実に再現された。その邦訳が出たのは2009年のことだった。
 長く品切れになっていたこの新版の日本語訳が、装いも新たに今回、刊行し直されたことを素直に喜びたい。文学以前の史料性が重んじられるようになったとはいえ、クレーの筆致は何も包み隠さない。異性への欲望を赤裸々なまでに吐露する場面など、こちらの方がドキドキさせられる。イタリア旅行でのはしゃぎっぷりは今の若者となんら変わることはない。子育ての苦労も同様だ。だが、第1次世界大戦に従軍し、志を同じくする絵描きの友、マルクの死を知らされた時の絶望感は一転して暗く、重い。
 謎も多い。クレーは18歳の頃から日記を書き始め、38歳まで書いていたという。なぜそれが、その後ぷっつりやめてしまったのか。どうしてわざわざ清書などしようと考えたのだろう。彼は日記についてこう書いている。「この日記の不明確で、混沌として、未発達なところも、この同じ状況を芸術に表そうとした試みほど醜くも、滑稽でもない」。その答えも、おぼろげながら本書の中にある気がする。
    ◇
 Paul Klee 1879~1940年。画家。スイス生まれ▽W.F.Kersten 1954年生まれ。チューリヒ大教授。