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「松永久秀と下克上 室町の身分秩序を覆す」 戦国の極悪人、実は政治改革者

評者: 出口治明 / 朝⽇新聞掲載:2018年08月18日
松永久秀と下剋上 室町の身分秩序を覆す (中世から近世へ) 著者:天野忠幸 出版社:平凡社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784582477399
発売⽇: 2018/06/22
サイズ: 19cm/303p

松永久秀と下克上 室町の身分秩序を覆す [著]天野忠幸

 松永久秀は「足利将軍を殺し、主君の三好を殺し、奈良の大仏殿を焼いた極悪人」で下剋上を象徴する梟雄といわれてきた。本書は丁寧に文献をひもとき、それは江戸時代の創作で、事実は異なると、新しい久秀像を提示した力作である。
 1493年、管領の細川政元が足利将軍をすげ替えた。これ以降を細川政権と呼ぶことが多い。細川家は京都から大阪、阿波に至る地域を基盤としたが、1549年、阿波の細川家(分家)の家臣だった三好長慶が京都に攻め上り畿内を制圧した。これを三好政権と呼び、芥川山城(高槻)を拠点に、1568年の信長上洛まで畿内を支配した。
 高槻の百姓出の久秀は長慶の家臣として頭角を現し、興福寺の領国で守護不設置だった大和を支配した。長慶・久秀は、純粋な改革者でそれまでの社会の身分秩序に果敢に挑戦した。足利将軍家を擁立しなかったことがその典型であり、自らの力で政治を行ったのである。信長が足利義昭を奉じて上洛したことを思えばその革新性は際立っている。また、朝廷とも上手に交渉した久秀は、朝敵の楠氏を登用するなど実力主義を貫いた。久秀が築いた豪華な奈良の多聞山城は安土城の先駆を成した。
 64年に長慶が没すると三好政権は暗転する。長慶を継いだ三好義継が久秀の子である久通と組んで、将軍義輝を弑逆した。久秀は義輝の弟、義昭を保護しているので将軍殺しは明らかにぬれぎぬだ。主君、長慶は病死したので主君殺しも事実ではない。長慶に忠実だった久秀は、義昭をかくまったことで義継を担いだ三好三人衆から政権中枢を追われたのである。こうして久秀と三好三人衆の戦いが始まり、その中で大仏殿が炎上した。久秀は信長や義昭と同盟して三好三人衆に対抗した。久秀は、最後は、信長に背いて滅んでいくが、一介の百姓から身を起こした久秀の人生は、次の時代の豊臣秀吉を予告しているようだ。
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 あまの・ただゆき 1976年生まれ。天理大准教授(日本中世史)。著書に『増補版 戦国期三好政権の研究』など。