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「原民喜 死と愛と孤独の肖像」書評 弱く小さな声届けた原爆文学者

評者: 佐伯一麦 / 朝⽇新聞掲載:2018年09月29日
原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書 新赤版) 著者:梯久美子 出版社:岩波書店 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784004317272
発売⽇: 2018/07/20
サイズ: 18cm/275p

原民喜 死と愛と孤独の肖像 [著]梯久美子

 原爆体験を描いた原民喜の文学に初めて触れたのは高校生のときだった。こちらは40年の歳月が経ったが、45歳で鉄道自殺したその容姿は、繊細さを窺わせる丸眼鏡の細い身体つきの写真の印象をとどめたままである。本書を読んで、日露戦争で勝利した年に生まれ、戦争に勝って民が喜ぶという意味で命名された原民喜が、生誕113年を迎えていることを今更ながら思い知らされた。
 死、愛、孤独の三章に分かれている本書の構成は、確かにそれらが原の生涯を貫く三つの要素だったことを納得させる。幼年期から死の想念にとらえられ、他人と接するのが極端に苦手だった敏感な魂が、理解者である妻を得たものの先立たれてしまい、帰郷した広島で被爆する。そして、〈このことを書きのこさねばならない〉と、勇を鼓して原爆文学を書き上げた後、朝鮮戦争勃発の翌年に世相が戦後復興へと進む中にあって、悲しみにとどまり続けることを課して孤独な死を選んだ。
 著者は、怯える子供だった原が、11歳の時の父の死によって世界が引き裂かれてしまった経験から筆を起こし、その生涯を魅力あるエピソードを丹念に拾い上げながら評伝風に綴っていく。特に、生家の庭隅にあった大きな楓が印象的で、そこは、父の死後には霊魂のやすらう特別な場所と思えるようになり、「夏の花」では、原爆投下後に、折れたその楓を踏み越えて家を捨てて逃げ出す。
 叙事詩のように簡潔な「夏の花」の文章が、持ち逃げ用の雑?の中の手帳にカタカナ混じりでメモをした記述が原型であることを、遺品の手帳の原本にあたって解き明かすところが最も読み応えがあり、末尾に置かれた、最晩年の作に微かな幸福感をもたらしている「U」と出てくる現存する女性へのインタビューも深い余韻を残す。原文学のもつ弱く小さな声が、生き辛さを抱えた現代の人々にも届くことを祈りたい。
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 かけはし・くみこ 1961年生まれ。ノンフィクション作家。デビュー作『散るぞ悲しき』で大宅賞。『狂うひと』など。