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「成仏」を逃れるために右往左往

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2018年09月29日
リンカーンとさまよえる霊魂たち 著者:ジョージ・ソーンダーズ 出版社:河出書房新社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784309207438
発売⽇: 2018/07/25
サイズ: 20cm/445p

リンカーンとさまよえる霊魂たち [著]ジョージ・ソーンダーズ

 これはなんだ? こんな風変わりな小説、見たことない。たとえば――。
 「今回のタイミングはまずかった」エヴァリー・トーマス師
 「ひどい」ロジャー・ベヴィンズ三世
 「最悪だ」ハンス・ヴォルマン
 というような霊魂たちのモノローグ。あるいは、リンカーンについて述べた「私が見たなかで最も不細工な男」といった虚実とりまぜた引用か。全編がこのかたちで成り立っているので「コレ、小説?」ととまどうだけでなく、物語に入り込むまでに、私はかなりのページを費やした。
 が、前述の3人が、最後の審判が怖くてあの世に行けない牧師と、世界の美を堪能しないまま自殺したのを悔やんで目や鼻が異常に増えてしまった男と、初夜の直前に死んだために巨大なペニスを勃起させたままの男――つまり現世に未練があって自分の死を受け入れられない霊魂たち――が〈物質が光となって花開く現象〉=成仏、を逃れるために右往左往しているのだとわかるころには、俄然おもしろくなる。
 とはいえ本書はユーモア小説ではない。舞台は南北戦争の激戦の最中、大統領として北軍を指揮していたリンカーンの最愛の息子、ウィリーが病死する。悲嘆に暮れ、遺体のかたわらで長い時を過ごすリンカーンだが、同時に彼は3千人を超える若者たちの戦死にも直面している。ウィリーをあやつり、リンカーンの体内へ入って、様々に影響を及ぼそうと奮い立ち、団結してゆく霊魂たち……。本書は、生と死、善と悪、戦争や人種や、そしてなにより人間の本質に鋭く迫る恐るべき書でもある。
「すべての人の中心部分には苦しみがある。必ず終わりが来ること、その終わりに至るまでに数多くの喪失を経験しなければならないこと」
 霊魂ヴォルマンの悟りともいえるモノローグがじわじわと胸に迫ってきた。
    ◇
 George Saunders 1958年生まれ。米国の作家。本書でブッカー賞。『短くて恐ろしいフィルの時代』など。