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「田中角栄 同心円でいこう」書評 敵みつけ排除しない包摂の政治

評者: 齋藤純一 / 朝⽇新聞掲載:2018年10月20日
田中角栄 同心円でいこう (ミネルヴァ日本評伝選) 著者:新川 敏光 出版社:ミネルヴァ書房 ジャンル:伝記

ISBN: 9784623084258
発売⽇: 2018/09/10
サイズ: 20cm/281,7p

田中角栄 同心円でいこう [著]新川敏光

 田中角栄と聞いて思い浮かぶのは、「カネの政治」だろうか、それとも「情の政治」だろうか。政治は数と見切り、数をカネで購う金権政治だろうか、それとも「政治は生活」を信条とし、庶民を置き去りにしない政治だろうか。「カネの政治」のベースには「情の政治」があり、再来する角栄ブームにはそれへの郷愁がある、と著者は見る。
 本書は、田中の政治を適切に特徴づけて「パターナル・デモクラシー(家父長的民主主義)」と呼ぶ。それは、人々を庇護されるべき存在とみなし、その境遇の向上に心をくばる政治である。エリート主義や、体制選択に固執するようなイデオロギーの政治は、田中にはほど遠いものだった。
 後の政権と比較しても、田中の政治には、規制緩和を推進する新自由主義や「国を愛する心」を鼓吹するような新保守主義の要素はきわめて薄いように思う。『日本列島改造論』(1972年)は、「平和国家の生き方を堅持し」、「生産第一主義、輸出一本ヤリの政策を改め、国民のための福祉を中心にすえ」ることを政策の根幹として掲げる。実際、日中国交正常化や年金制度の拡充などはそれに沿った田中の功績と見られるし、「均衡がとれた」国土の発展という構想は顧みるべき価値を含んでいる。
 抑制が利いているとはいえ、著者は田中への共感を隠してはいない。「同心円でいこう」という彼の言葉にも、敵を見出し、排除するのではない「包摂の政治」が読み取られる。
 だが、田中流の「パターナル・デモクラシー」は立ち返るべき政治ではないだろう。本書も強調するように、そのもとで人々は「市民」ではなく「庶民」、つまり自分たちの生活の改善と引き換えに利益誘導の政治に依存するクライアントにとどまるからである。
 市場でも、国家のためでもない政治。本書が田中角栄の生涯を通して展望するのはそうした政治である。
    ◇
 しんかわ・としみつ 1956年生まれ。法政大教授(政治学)。『福祉国家変革の理路』『幻視のなかの社会民主主義』。