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「ブルジョワ 歴史と文学のあいだ」書評 効率偏重が生む悪、現代にも

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年11月24日
ブルジョワ 歴史と文学のあいだ 著者:フランコ・モレッティ 出版社:みすず書房 ジャンル:文学論

ISBN: 9784622087236
発売⽇: 2018/09/19
サイズ: 20cm/260,28p

ブルジョワ 歴史と文学のあいだ [著]フランコ・モレッティ

 役に立つ人間であれ。効率的に働け。真面目に暮らせ。社会の命ずる声に追いつめられた我々は疲れ切り、生きる意味さえ見失った。でも、こういう世の中を作ったのはいったい誰なんだ。ブルジョワである、とモレッティは答える。
 それまで権力を握っていた貴族たちは違う原理で動いていた。名誉を求める激しい戦争や情熱的な冒険は短時間しか続かない。あとは彼らは遊んでいるだけだ。だがブルジョワは違う。彼らは政治より経済に注力する。ものを作り商売をするには日々、努力を積み重ねなければならない。
 彼らの徳が表れているのがデフォーの『ロビンソン・クルーソー』だ。18世紀に書かれたこの作品で、クルーソーはたった一人、島で役に立つものをかき集め、重労働の末に快適さを手に入れる。彼が関心を持つのは現実と向き合い、改変することだけで、名誉や勝利など眼中にはない。
 けれどもこうした思考法は思わぬ副産物を生む。19世紀に入りドストエフスキーは、多数の幸福のためには殺人も許される、と考える青年を描いた『罪と罰』を書く。イプセンの戯曲に出てくるブルジョワたちは、法が及ばない灰色の領域で蓄財を重ねる。まさに「適法性の外套によって護られた不正」だ。こうして、ブルジョワの好む合理的思考は内側から崩れ去る。
 モレッティは文学と社会がどう出会うかを論じてきた。それはブルジョワの出現と破滅を文学作品から探る本作も同じである。効率や勤勉さ、正しさを突き詰めすぎると悪が噴出する、という彼の批判は、いまだブルジョワ的倫理から逃れきれない我々をも刺す。
 ならばどうすればいいのか。命への共感や喜び、遊びに満ちた世界を取り戻すには。モレッティの本にその処方箋はない。しかし、かつてこの世界以外の世界が存在していた、という彼の指摘だけでも、この堅固な世の中をひび割れさせる力はある。
    ◇
 Franco Moretti 1950年イタリア生まれ。米スタンフォード大名誉教授。比較文学研究者。『遠読』など。