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「リベラル再生宣言」書評 「疑似政治」を市民が再び政治に

評者: 間宮陽介 / 朝⽇新聞掲載:2018年12月08日
リベラル再生宣言 著者:マーク・リラ 出版社:早川書房 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784152097873
発売⽇: 2018/10/04
サイズ: 20cm/159p

リベラル再生宣言 [著]マーク・リラ

 いまの日本では、「私はリベラル派だ」と公言する人をあまり見かけなくなった。保守が政治的価値の中心に居座り、リベラルは保守との親近性を強調することによって命脈を保っている感さえある。
 リベラルの本家本元、アメリカでも、「リベラル」はいまや負価値をもつ言葉になりつつあるという。このような時代状況の中で書かれた本書は、反時代の書といっても過言ではない。
 とはいえ、本書は甘口のリベラル擁護の本ではない。リベラルの価値や信条を共有している点では著者はリベラル派であるが、その彼が、リベラル派知識人やリベラル政党である民主党の政治姿勢に異議を申し立てるのである。
 リベラル派は「個人的なことは政治的なこと」だと言い放つ。人々は個人としてはもちろん、人種、性別、文化などの面においても違いをもつ。いわゆる差異の政治、アイデンティティー・ポリティクスはこれらの差異を政治運動という形で政治の土俵に上せ、政治化する。個人的なことが政治化されるのである。
 個人や集団の差異はもちろん否定されるべきではない。この差異によって差別が行われるとしたら、重大な政治的問題になる。しかし、著者の見るところ、差異の政治は個人や集団をタコ壺化させた。他者や他集団への無関心を助長し、これが民主党の足腰を弱体化させたのである。
 レーガンの新自由主義が政治を消し去る「反政治」だとしたら、民主党のアイデンティティー・リベラリズムは、政治を装った「疑似政治」である。リベラル再生は疑似政治を再度「政治」化することなしには行い得ず、またそのためには政治の場で共通の関心事を語る「市民」の存在が不可欠になる。政治教育によって市民を育て、市民の活性化によって政治を再生すること。このような迂路を経なければリベラル再生はあり得ないというのが本書の主張である。
    ◇
 Mark Lilla 1956年生まれ。米コロンビア大教授(政治哲学、政治神学)。著書に『神と国家の政治哲学』など。