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「二十五年後の読書」 死や別離、苦悶の先にある希望 朝日新聞読書面書評から

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2018年12月22日
二十五年後の読書 著者:乙川優三郎 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784104393084
発売⽇: 2018/10/31
サイズ: 20cm/242p

この地上において私たちを満足させるもの 著者:乙川優三郎 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784104393091
発売⽇: 2018/12/21
サイズ: 191×132mm/256ページ

二十五年後の読書/この地上において私たちを満足させるもの [著]乙川優三郎

 こんなに書評しづらい本は初めて。『二十五年後の読書』は〈本読み〉で〈書評家の端くれ〉の響子が主人公、『この地上において私たちを満足させるもの』は著名な作家となる高橋光洋の〈ボヘミアン〉的人生の断片をつづった長編小説である。しかも「評論や批評だけが気高い山でいられるはずがない」など書評への先鋭な考察や「問題は文体であり、彫琢であった」など文章作法や文学論が随所に挿入されているので、作家の端くれの私が偉そうに書評などおこがましいと萎縮してしまう。ところが読み進めるうちに、この企みと思索に満ちた2冊について大いに語りたくなっていた。
 さて、前者は孤独な女に南の島に粋なカクテル、後者は放浪する男に異国の娼婦、成功の果ての隠遁暮らし……と一見、通俗的なパーツに彩られている。が、評する者と評される者、読者と創作者との違いこそあれ、響子と光洋が真摯に文学と対峙しているのと同様、一字一句に対する著者の研ぎ澄まされた感性が伝わってくるので、カクテルの一滴、ボッサのリズムといったものまでが普遍的な輝きを放ってくる。
 この2冊は上下巻ではない。響き合い、呼応し合っているものの独立した小説だ。とはいえ、著者は大胆な仕掛けも用意している。『二十五年後の読書』で、響子は自分にとって究極の文学の象徴ともいうべき恋人の作家と別離、生きる気力を失ってしまう。そこへ届けられたのが作家の最新作で、その書名が後者のタイトルになっている。つまり『この地上において』は、響子の胸に迫る傑作として読者に提示される。これは相当な勇気、いや自信がなければ出来ない芸当だ。
 私は著者の時代小説の愛読者だった。近年は江戸から昭和、現代へと時間軸を進め、さらにここ数冊では海外まで、縦から横へも視野を広げている。ということは、著者はなにか大団円のようなものを構築しようとしているのではないか。文学の豊穣という大団円、私の勝手な想像だけれど。
 文学は、空腹を満たしてくれない。天災や戦争から人間を守ってもくれない。生きるのに精いっぱいな人々には無用の長物ともいえる。でも、響子の気力を蘇らせることができたのは、文学の力だった。光洋が遺そうとしたものも、国や民族の違いを超えてうけつがれてゆく広義の文学である。
 本を閉じたとき、文学への限りない愛を感じた。死や別離や苦悶の先にある希望、それが文学だよーーと、そんな著者の声が聞こえてきたような。それは文学だけに留まらない。人間にとって充足とは何かという重い問いかけが、この2冊にはつまっている。
    ◇
 おとかわ・ゆうざぶろう 1953年生まれ。作家。『五年の梅』で山本周五郎賞、『生きる』で直木賞、『脊梁山脈』で大佛次郎賞。『太陽は気を失う』『ロゴスの市』『トワイライト・シャッフル』など。