「エドゥアール・マネ」書評 古典と現代の融合共存を試す
ISBN: 9784047035812
発売⽇: 2018/10/19
サイズ: 19cm/299,20p
エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命 [著]三浦篤
あのう、私ごとだけれど幼年期から10代、誰かの絵をマネ(模写)することが〈絵〉だと思って、複数の絵から引用しながら好みの絵を作ってたんです。
デザイナーになると模写も引用もコラージュに変わり、画家転向と同時に再び子供時代に戻って名画や大衆絵画、写真を下敷きにする様式などを得てーー。
本書では、マネが西洋絵画のイメージの引用、借用で今日の現代アートの道を開いたことが美術史の革命的な事件だと瞠目する。
だけど僕はこのことよりも、美しい筆跡を残したサラサラ音のするような身体性とペタッとした平面性、それと主題のなさ、様式の多様性に感応した。
本書の主題は過去の作品を換骨奪胎するマネの手法で、あらゆる源泉となる作品を並置しながら実にスリリングに解読していく。そんな手腕に読者は開眼させられながら視覚の快楽に陶酔するでしょうねえ。
例えばですよ、マネの「草上の昼食」はラファエロの〈パリスの審判〉が源泉じゃなく、ある日マネが水浴する裸婦を見たことで、ジョルジョーネの〈田園の奏楽〉を当世風にやり直して古典と現代の融合共存を図ろうとしたらしい。
マネは他の画家の作品と自らの記憶を援用するが、意識的なのか感覚に従ったかは不明だけれど、実はここに創造の核の秘密が隠されているように思える。従ってこの行為はパロディーや風刺が念頭にあったとは思えないけれど、この作品が話題になったのはその様式ではなく、主題の風俗があんまりスキャンダラスだったからなんですよね。
ところでマネの今日性を考える時、デュシャンにも似た美術史への大きい影響や、本書の帯にあるように「ピカソより前衛」といったことが語られるけど、ピカソがやったマネの変奏は単なるパロディーや風刺や諧謔の面白さを遥かに超えていて、悪意と尊厳がミックス、シェークされた凄みに圧倒されるんです。
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みうら・あつし 1957年生まれ。東京大教授(仏近代美術史)。著書に『近代芸術家の表象』など。訳書も多数。