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千葉雅也「意味がない無意味」書評 言葉から逃れ、他者受け止める

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2019年01月19日
意味がない無意味 著者:千葉雅也 出版社:河出書房新社 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784309248929
発売⽇: 2018/10/29
サイズ: 20cm/292p

意味がない無意味 [著]千葉雅也

 つながりすぎると動けなくなる。発言したとたん、ウェブ上で膨大な反応が返ってくる。それが称賛であれ批判であれ、僕らはどうにも縛られてしまう。そして、人はどう思うだろう、と考え続けて疲れ果てる。
 もちろん互いの理解は急速に進むだろう。だがそれも、価値観が近い者同士の話だ。政治的立場や宗教が違えば、こうした理解は望めない。そして気が知れない、となったとたん、果てしない非難合戦が始まる。
 わかり合える仲間とわからない他人、という世界観を抱きながら、人目を気にして疲れ切り、わからない者たちと軽蔑し合う。こんな不毛さをどう断ち切ればいいのか。千葉雅也は正面から立ち向かう。
 キーワードは「諦め」と「赦し」だ。理解不能な他人に対して自分の正しさを押しつけても、反発されるだけだ。むしろ、その人なりの歴史があってこうなっているのだと、いったん受け止めること。そしてあるがままの姿を許すこと。
 こうした存在を、千葉は「意味がない無意味」と呼ぶ。意味があると思ってしまうのは、相手を言葉でつかみきることができると見なしているからだ。だが生身の身体を持つ人間は、ついに言葉から逃れる存在である。なぜなら身体は、言葉の外側にあるからだ。
 かつて南アフリカの作家クッツェーは、拷問され苦痛にうめく身体から立ち上がる倫理について論じた。物質としての身体を傷つけてはいけない。他者の身体も自分のものも。こうした痛みこそが無限に増殖する言葉を断ち切るのだ。
 千葉の議論も近い。彼はそうした他者の身体への姿勢を「歓待」と名付ける。「裏切りの可能性を受忍しつつそれでも他者を信じること」。それは同時に、自己の身体をも歓待しながら、動く自由を取り戻すことにつながるだろう。
 哲学的、時に詩的でありながら、現代の実感に根差した千葉の文章は、疲れた僕らを元気にしてくれる。
    ◇
 ちば・まさや 1978年生まれ。立命館大准教授(哲学/表象文化論)。著書に『動きすぎてはいけない』など。