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「ガザに地下鉄が走る日」書評 冗談さえも抵抗、ノーマンの地

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2019年01月26日
ガザに地下鉄が走る日 著者:岡 真理 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・文化

ISBN: 9784622087472
発売⽇: 2018/11/17
サイズ: 20cm/305p

ガザに地下鉄が走る日 [著]岡真理

 どんな人も生きる権利を持っている。だがそれは当たり前のことではない、と岡真理は言う。たとえば、ガザ地区のパレスチナ人たちはどうか。度重なる攻撃や封鎖で心身をすり減らしても、世界は見て見ぬふりを続けるだけだ。そして人々の人権を保障するのが国である以上、国を持たぬ人々は誰にも守ってもらえない。人扱いされない人々、すなわちノーマンに寄り添いながら、岡は現代社会を問い直す。なぜなら、最も低い場所からこそ、最も明確に世界が見えるからだ。
 たとえばこのエピソードはどうだろう。ヨルダン川西岸地区のホテルのロビーで、岡はパレスチナ人の青年2人と落ち合う。外出禁止令の中、街を案内してもらうためだ。ロビーの奥にはイスラエル兵の一団がいる。けれども2人は冗談を言って笑い合う。ここには圧制下に苦しむ人々というありきたりの姿はない。
 なぜ2人は冗談をやめないのか。人生を楽しむ力は誰にも奪えないということを、兵士たちに示すためだ。そこにあるのは、どんな外的な力も人の魂までは殺せない、という強力なメッセージである。ここでは、不真面目に軽口をたたくことが、そのまま真剣な闘いになっている。
 僕らはパレスチナ問題について知っているつもりでいる。しかし本書は予想をことごとく覆していく。それは集団ではなく、個人にきちんと光を当てているからだ。パレスチナ人たちはただの、苦しみ続ける人々ではない。その一人一人に顔があり想いがあるのだ。
 西岸地区のホテルのロビーで、兵士の一人が岡に話しかけてくる。しかし彼女は彼を拒んでしまう。「あのとき、青年のほうから差し伸べてくれた手を握らなかったことを、今、とても後悔している」。悪いのは個人ではない。あくまでシステムなのだ。そして人が作ったシステムは必ず変えられるだろう。このぎりぎりの楽観が、本書をとても貴重なものにしている。
    ◇
 おか・まり 1960年生まれ。京都大教授(現代アラブ文学・パレスチナ問題)。著書に『記憶/物語』など。