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「奴隷/工場 小説・女工哀史」 百年前の工場労働者が間近に 朝日新聞読書面書評から

評者: 斎藤美奈子 / 朝⽇新聞掲載:2019年01月26日
奴隷 小説・女工哀史 1 (岩波文庫) 著者:細井和喜蔵 出版社:岩波書店 ジャンル:一般

ISBN: 9784003313527
発売⽇: 2018/10/17
サイズ: 15cm/556p

工場 小説・女工哀史 2 (岩波文庫) 著者:細井和喜蔵 出版社:岩波書店 ジャンル:一般

ISBN: 9784003313534
発売⽇: 2018/12/15
サイズ: 15cm/554p

奴隷 小説・女工哀史1/工場 小説・女工哀史2 [著]細井和喜蔵

 細井和喜蔵って、知ってますか。細井和喜蔵は、希代のノンフィクション『女工哀史』(1925年)の著者である。紡績工場の非人間的な実態を詳細にレポートしたこの本は発売と同時にベストセラーになり、今日もなお版を重ねる歴史的名著である。
 ところが、和喜蔵は『女工哀史』が出版されたわずか1か月後に病没する。享年28。あまりにも若すぎる死であった。
 と、そこまでが一般に知られている細井和喜蔵のプロフィールなんだけど、じつは彼は生前に何編かの小説を残していた。そのうちの2冊が、このたび九十余年の時を経て岩波文庫のラインナップに加わった。『奴隷』とその続編の『工場』である。身も蓋もないタイトルながら、これは和喜蔵自身の体験を踏まえた自伝的小説で、『女工哀史』とはまたちがった読み物としての興奮に溢れている。
 細井和喜蔵は丹後ちりめんの里として知られる京都府与謝郡加悦町(現与謝野町)に生まれた。主人公の三好江治も同じ。父は家を出、母も亡くし、祖母と曽祖母と暮らす江治が13歳で機家(はたや=ちりめん工場)に奉公に出されるところから物語ははじまる。
 〈おっちなあ、銭があったら京か大阪へ行って、学問習いたい。機械のこと教える学校へ入りたいなあ〉という夢を抱いていた江治は、数年後、16歳で村を出て、一日中騒音が鳴り響く大阪の巨大な紡績工場に落ち着いた。
 朝5時前に起き、5時半には工場に出て、何度かの休憩を挟み18時まで働く。その後は2時間の残業を免除してもらって職工学校へ。一日中働きづめの上、38銭の日給のうち28銭は飯代に取られ、下宿代などを引くと手元にはいくらも残らない。それでも〈僕はね菊枝さん、三十までにきっと発明を完成してみせる〉と、同じ工場で働く恋人相手に豪語する江治。〈そうなったら僕たち機械直し工の頭を痛め、菊ちゃんたち織り工にいつも苦心させる杼(ひ)打ちもなくなるだろうし糸切れも減り、女工一人で二十台くらいは機織りが受け持てるようになる〉
 が、その恋人との一件で目をつけられた江治は職工係主任にクビをいいわたされるのだ。〈三好、お前今日限り会社を解雇にするよってにな、これからスッパナ持って帰ってんか〉。ええーっ?
 100年近く前の若い工場労働者がすぐ間近にいるような臨場感。しかもそこで描かれるセクハラやパワハラは、構造的に今日と変わらないことに驚かされる。会社の都合に翻弄される彼らの境遇はブラック企業が横行する現代と重なる。労働現場に密着したエンタメ性の高さにおいて『蟹工船』よりおもしろい、と私は思う。
    ◇
 ほそい・わきぞう(1897-1925)。大阪や東京の工場で働きながら組合活動に関わり、文筆活動に入る。生前に刊行された単行本は『女工哀史』だけだが、短編小説や評論を雑誌や新聞に発表した。