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「美術史」が目を向けぬ具体性 朝日新聞読書面書評から

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2019年02月02日
抽象の力 近代芸術の解析 著者:岡崎 乾二郎 出版社:亜紀書房 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784750515533
発売⽇: 2018/11/23
サイズ: 22cm/417,20p

近代芸術の解析 抽象の力 [著]岡崎乾二郎

 著者によると、造形芸術は必ずしも視覚に絞られるわけではない。美術作品が見えない、というのは常識に反するかもしれない。だが、ここでの作品とは、「知覚をとびこえて直接、精神に働きかける」能力のことを指す。それを示すため、著者は驚くほど多くの事例を参照し、回路のように連係させる(この潜在的なネットワークが「見えなかった」のだ)。その記述は、書名から連想されるようには抽象的でなく、あくまで具体的になされる。それは、なにより著者自身が造形作家であることに由来する。
 絵を描くにせよ、彫刻を作るにせよ、美術家は日々、物質と格闘している。物質には度し難いところがあって、人間のことなどなんら意に介さない。私のような批評家でも、ふと、紙で手を切って血を流すことがある。ましてや、個別に特性が違う物質と渡り合いながら制作する美術家なら、どれほどのことか。そこには「既存の制作過程、および作品受容のあり方へ還元」できるものはなにもない。作り手は困難に突き当たれば、その都度工夫し、何度でも「芸術」を設計し直さなければならない。
 思えば、私たちが一人の人間としての限界や分断に妨げられず、自由に時間や空間を超えて過去(や未来)に触れることができるのは、そうして造られた事物としての作品が残っているからだ。そのとき、私たちは作品を見ているようで、実は作品に内包され、ふたたび開示される時を待っていた永続的な設計や工夫を直に感受している。そうでない限り、作品は歴史を補強する単なるコマとして美術館の展示室に陳列され、収蔵庫に死物として保管され続けるほかはない。
 事実、大文字の美術史は、そうした具体性に目を向けることなく、美術を類似の様式の変遷へと整理し、ひとつの単線的な物語のなかに回収してきた。ヒルマ・アフ・クリント、熊谷守一、ジョン・D・グラハム、ゾフィー・トイベル=アルプ、坂田一男、白井晟一、イサム・ノグチ、内間安……。本書に登場する作り手たちは、どんなに著名であっても誤解されたままであったり、既存の美術史からは目が届かず、せいぜい「欄外」に留められたりしてきた。しかし、そこには単純な歴史に還元できない「密接な連?」があり、それを駆動したのは「抽象の力」そのものだった。
 日本における近代美術の世界同時性をはかるための「定規=道具」にもなりうるためだろうか。念入りに設計された造本や図版の配置、そして回路のような文字のレイアウト自体、美術史の「関係を転覆し再編する装置」のように見えてくる。
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 おかざき・けんじろう 1955年生まれ。造形作家、批評家。絵画、彫刻、映像、建築など分野を超えて作品を制作し、数多くの国際展に出品。著書に『ルネサンス 経験の条件』など。