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野村四郎、山本東次郎「芸の心」書評 悟りと霊性が宿る創造世界

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2019年02月09日
芸の心 能狂言終わりなき道 著者:野村四郎 出版社:藤原書店 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784865781984
発売⽇: 2018/11/23
サイズ: 20cm/228p

芸の心 能狂言 終わりなき道 [著]野村四郎、山本東次郎 [編]笠井賢一

 初めて知った。能舞台の松の絵の幹は中心より左に外すことを。でないと橋掛(はしがか)リと本舞台とのバランスがとれない。そりゃそうだ。でないと橋掛リと対峙しない。能狂言には何ひとつ意味のないものはない。ガチッとした型を応用する創造世界である。
 本書は観世流シテ方の野村四郎師と大蔵流狂言方の山本東次郎師との、伝統の継承と現代への挑戦的対話だ。お二人は私と同年代で幼年期に戦争体験をしておられる。山本師は子供の頃、どんなに空襲が激しくなっても舞台を守ろうとする父親の気迫に圧倒され、爆弾が落ちる中、肉体的恐怖を超えた特訓を受けながら、不思議と穏やかな安心感があったと言う。
 さらに観世寿夫からは、ぎりぎりのところまで自分を追い込んでいき、そこで何もしないでいるところが大事だと教わる。我を追求して我を手放して初めて得る境地こそ芸の普遍性なのだろう。
 ところで能と狂言の違いは? 例えば能の「卒都婆小町」で百歳の姥(うば)が一歩詰める。この一歩が小野小町の百年を表現する。それが能なんだ=野村。能は死霊のドラマと言われ、足を感じさせない。幽霊のように実際の距離とか時間を超える=山本。
 では狂言は? 山本師は、狂言はすべての人間に普遍的にあてはまるものだから「私」を消さなければならないと言う。「普遍性を獲得するために個性を消して『型』を使う」と。個性から入って普遍に至る。レンブラントの絵みたいに。狂言は「人間の愚かしさを映す鏡」と山本師は言い、野村師は能を「日常から離れたもの」「解ってもらうよりは感じてくれればいい」と主張。
 解ることは意味がない。解らぬ芸術があってもいい。感じることが如何に重要か。感じることは悟りであり、予知である。感覚には霊性が宿るが、知性には宿らない。能狂言は感性の芸術なり。
    ◇
 のむら・しろう 1936年生まれ。日本能楽会会長。人間国宝▽やまもと・とうじろう 37年生まれ。人間国宝。