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「共通語の世界史」書評 多様性の維持が統一性の酵母に

評者: 出口治明 / 朝⽇新聞掲載:2019年02月16日
共通語の世界史 ヨーロッパ諸言語をめぐる地政学 著者:クロード・アジェージュ 出版社:白水社 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784560096598
発売⽇: 2018/11/27
サイズ: 20cm/357,9p

共通語の世界史 ヨーロッパ諸言語をめぐる地政学 [著]クロード・アジェージュ

 本書の初版は1992年である。30年近く前の「ヨーロッパの諸言語の総覧」を、今さら読む価値があるのか、いぶかる向きもあろう。一般に、人生が苦難に満ちれば民族文化(言語、ナショナリズム)への執着は熱狂的なものになるが、「ナショナリズムをより無害なものにするためには、いかなる障害もなく、財、人間、思想が循環できるようなひとつのヨーロッパを実現しなければならない」という著者の主張には瞠目すべきものがある。混迷する世界においてこそ読まれるべき骨太の一冊だ。
 著者はまず民族と民族をつなぐ役割を果たす「連合言語」を取り上げる。英語、ドイツ語、フランス語がそうだ。言語を広めるための道具は歴史的には商業、宗教、軍隊だった。なるほど、よくわかる。次いで、ヨーロッパの多様で複雑な言語世界に筆を進める。ヨーロッパでは約60の言語が話されているが、インドでは約200もある。ヨーロッパの他の地域にはない特徴は、3千万人以上の話者を持つ言語が八つもあることだ。そして言語的には、東では分散へと向かう傾向、西では統一へと向かう傾向がみられると著者は指摘する。言語が民族をつくり、民族が言語をつくるのでヨーロッパはナショナリズムの挑戦を受けている。しかし、多様性の維持こそが統一性を生み出す酵母だとする著者の信念が揺らぐことはない。ヨーロッパはその言語によって多様であるので、ヨーロッパは世界の多様性を抱擁する使命が授けられているのだ。
 世界には様々な文化があるが、文化は言葉であって文化を守るのはその言葉を母語とする人々である。僕は心底そう思っている。文化を守ることは言語を守ることであって、そのためには諸言語のおかれている状況をまず把握しなければならない。本書ほど諸言語の多様なあり方を学べる本は少ない。このような学術書を翻訳した訳者と出版社に深い敬意を捧げたい。
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 Claude Hage 1936年チュニジア生まれ。言語学者。高等学術研究院からコレージュ・ド・フランス名誉教授。