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「書かずに死ねるか」書評 自分を客観視して残した言葉

評者: サンキュータツオ / 朝⽇新聞掲載:2019年03月16日
書かずに死ねるか 難治がんの記者がそれでも伝えたいこと 著者:野上 祐 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:ノンフィクション・ルポルタージュ

ISBN: 9784022515896
発売⽇: 2019/02/07
サイズ: 19cm/248p

書かずに死ねるか 難治がんの記者がそれでも伝えたいこと [著]野上祐

 二人に一人はがんになる。がんになって急に「死」を意識するなんて、災害がきてから防災のこと考えるのとおなじで、想像力不足だよと思う人もいるかもしれない。だが、この本に接するとそのあまりのリアルさにたじろぐ。抗がん剤や人工肛門との付き合い方、食べることができる喜び、注射の多さや看護師や医師の個性。新聞記者である著者だからこそ冷静に観察し表現できた、がんのリアル。心のリアル。
 がんを涙の消費物にしていない。この本はがんになった人、家族ががんになった人への羅針盤である。著者は、先崎学九段が、がんで早世した友人の村山聖九段をしのんだ「将棋指しが残すのは、つまるところ棋譜だけである」という言葉に、記者としての魂を揺さぶられる。記者は文章を残そうと努める。
 血を吐いて息も絶え絶えに救急車で運ばれるときでも「パソコンもってきて」と配偶者に伝える著者。国会の行方はどうなるのか、分断の時代をどう生きるのか、福島や沖縄の動向はどうだろうか。記者としての関心を失わずに思考し続ける。がんから見える風景がある。心の平静を保つ努力をし、本を読む。過去を振り返ることで一日の生を充実させる。数学にまで興味をもってやろうとしたり。人類が積み上げてきた知の蓄積に触れ、最後まで自分を高めることを諦めない。記者として、せめて社会へ「ひっかき傷」を残そうと、自分と内面を客観視し文字化する。ユーモアも忘れない。これも立派な人類の知の蓄積だ。この本を読むと、救いは自分の心ひとつで身の回りにたくさんあることがわかる。この人だけが特別なのではない、自分にもできることなのかもと勇気をもらえる。元気なうちに読んでほしい。
 「大切なのは常に、今これから。変え得る将来だ」。著者は、昨年末「あとがき」を書いた3日後に亡くなっている。そして、言葉が残った。
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 のがみ・ゆう 1972年生まれ。朝日新聞記者。政治部や福島総局(次長)などで勤務。2018年12月28日死去。