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「想起の文化」 歴史の記憶と未来をめぐる葛藤

評者: 西崎文子 / 朝⽇新聞掲載:2019年03月23日
想起の文化 忘却から対話へ 著者:アライダ・アスマン 出版社:岩波書店 ジャンル:社会学

ISBN: 9784000237369
発売⽇: 2019/01/26
サイズ: 22cm/265,5p

想起の文化 忘却から対話へ [著]アライダ・アスマン

 過去の否定的な歴史経験を想起し続けることは、未来への障害となるのだろうか。本書は、第2次大戦後のドイツにおける歴史と記憶、想起をめぐる論争を、アクチュアルな問題意識から分析する。
 戦争責任への対応において、ドイツは優等生と見られてきた。ヴァイツゼッカー大統領の演説「荒れ野の40年」や、ユダヤ人犠牲者を悼む「躓(つまず)きの石」など、ナチズムやホロコーストを忘却しまいとする努力はよく知られている。しかし、その歴史は平坦ではない。戦後、分断国家西ドイツが社会統合のために選んだのは、意図的な沈黙だった。ナチズムを糾弾しつつも、国民は自らの加害に口を閉ざしたのである。
 それが変化するのは1980年代のこと。担い手は「68年世代」だった。60年代後半、共産主義の理想に共鳴する彼らは、冷戦下の西ドイツを批判し、親世代のナチの過去を告発しはじめた。年月が経ち、彼らは加害の歴史を内在化するようになる。被害者に寄り添いつつ、国家と社会の罪に向き合い、その倫理的な意味を問うこと。ここに、想起の文化が生まれた。
 しかし、想起の文化は、不快感をも誘発する。いつホロコーストは歴史化され、客観的に語られるようになるのか? 戦後世代が、なぜ戦争責任を負わねばならないのか? 過去に拘泥していては未来を描けないのではないか?
 著者はこの不快感に応えながら、想起の重要性を主張する。敵同士が忘れ、赦すうちに平和が訪れることもあろう。しかし、途方もない「受難の歴史」は過ぎ去っても終わることはなく、未来のための想起を求め続ける。人間の尊厳の擁護という新しい人権パラダイムもそれを後押しする。
 著者の提唱する対話的な想起は容易ではない。しかし、漠たる不快感に身を任せ、未来志向を旗印に被害者を置き去りにして忘却を選ぶとき、新たな受難の歴史が始まるのではないか。
   ◇
Aleida Assmann 47年、ドイツ生まれ。コンスタンツ大名誉教授(英語文学、一般文学)。『過去の長い影』など。