1. HOME
  2. 書評
  3. 「くわしすぎる教育勅語」書評 淡々と事実 幻想を剝ぐ痛快さ

「くわしすぎる教育勅語」書評 淡々と事実 幻想を剝ぐ痛快さ

評者: 本田由紀 / 朝⽇新聞掲載:2019年04月06日
くわしすぎる教育勅語 著者:高橋 陽一 出版社:太郎次郎社エディタス ジャンル:国家

ISBN: 9784811808321
発売⽇: 2019/02/15
サイズ: 19cm/269p

くわしすぎる教育勅語 [著]高橋陽一

 いやはや確かにくわしすぎる。しかしそれだけではなく、わかりやすすぎ、面白すぎる。第1部「精読」ではまさに1語ずつ出典が解説され、第2部「始末」では起草者たちの人間模様や歴史の中での右往左往が詳らかにされ、第3部「考究」では痒い所に手が届くように文献と資料が紹介される。事実を淡々とつづっている「だけ」なのだが、勅語にまとわせられがちな幻想を次々と剝ぎ取ってゆく痛快さは、どんな糾弾よりもスリリングだ。
 表紙でお辞儀をしている女の子はポップなイラストのようだが、修身教科書に掲載されていた「サイケイレイ」の挿絵である。当初は生徒らが5人ずつ前に進み勅語に頭を下げていたが、下げ方が浅いと糾弾される不敬事件が内村鑑三の例を含め多発した。対策として導入されたのが全員一斉の最敬礼だ。これなら誰かを糾弾しようとする当人も最敬礼していなかったことになるからだ。
 教育勅語に含まれる徳目は、古代中国の儒教道徳と「博愛」など西洋近代の道徳を、日本書紀の神話に基づく天皇制の礼賛へと無理やりに流し込んだものである。勅語がつくられた当時はそういう異種混合のキメラでも問題なかったかもしれないが、日清・日露戦争後の国際関係に日本が巻き込まれていった際に、国外にも通用するとされていたはずの勅語の徳目から〝永遠の天皇制〟だけこっそり外すという、再び無理やりな解釈がなされる。
 しかし昭和に入り「日本精神」を普及しようとした政府がその研究を奨励したところ、研究すればするほど日本の伝統文化が海外由来であることが明らかになり、「日本精神」というスローガンは使えなくなる。代わりに勅語に含まれていた「国体」や「皇国ノ道」という空疎な標語が持ち上げられてゆくのである。
 滑稽にも見えながら、悲惨を招いた教育勅語。それはもはや静かに葬られるべき過去の遺物でしかない。
    ◇
 たかはし・よういち 1963年生まれ。武蔵野美術大教授(日本教育史)。著書に『新しい教育通義』など。