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「夏の坂道」書評 南原繁の青春と戦後改革への道

評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2019年05月04日
夏の坂道 著者:村木 嵐 出版社:潮出版社 ジャンル:小説

ISBN: 9784267021664
発売⽇: 2019/03/05
サイズ: 20cm/406p

夏の坂道 [著]村木嵐

 学者を主人公にした小説を書くのは難しい。その精神のうちにどれほど大きな浮沈があるとしても、多くの学者の生涯は、千年一日のごとく淡々としたものに過ぎないからだ。ドラマチックな出来事など、例外中の例外である。
 ところが、本書は政治学者の南原繁を主人公とする小説である。正直いって、文学作品にはなじみにくそうにも見える。カントやフィヒテの研究者であり、敗戦直後にあって東大総長に就任、戦後日本の教育改革にも影響を及ぼした重要な知識人とはいえ、政治哲学研究者と言われた瞬間に、多くの人は縁遠いものを感じてしまうかもしれない。
 評者もそのような先入観とともに本書を読み始めた。が、驚いたことに、本書の前半は青春小説の趣がある。信仰を持った生真面目な学徒とその友情、妻との出会い、内務省の公務員としての地方生活。大正デモクラシーから昭和の戦争への時代を背景に、控えめで清潔感あふれるトーンで、青春劇が描かれる。
 後半は一気に雰囲気が変わる。戦争に向かうなか、大学もまた時代の嵐に襲われる。当たり前の学問活動を非愛国的と糾弾され、一人また一人と研究者が大学を追われていく。南原らはなんとかそれを食い止めようと努力するが、試みは失敗に終わる。終戦に向けての懸命の行動も実ることはなかった。
 理想主義者の南原は、だからこそ現実において理想が真に実現しがたいことを知る。しかし、だからこそ肝心なのは、現実の国家を神聖視することなく、かといって、それが誤ったときにも見捨てるのではなく、その再生のために努めることである。徒労感に陥りつつ、家族の支えで歩み続ける南原を描くドラマが感動的である。
 出てくる人物がみな生き生きしている。とくに南原の恩師小野塚喜平次がユーモラスに描かれていて秀逸であることを、最後に付言しておきたい。
    ◇
 むらき・らん 1967年生まれ。会社勤務などを経て作家に。『マルガリータ』で松本清張賞。著書に『やまと錦』など。