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「資本主義と闘った男」 転身の謎 自然と人間の交換が鍵 朝日新聞書評から

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2019年05月11日
資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界 著者:佐々木実 出版社:講談社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784065133101
発売⽇: 2019/03/29
サイズ: 20cm/638p

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界 [著]佐々木実

 私が宇沢弘文について聞いたのは、七〇年代のアメリカにおいてである。彼はシカゴ大学の正教授として、数理的な経済学の先端を行く目立った存在であったのに、なぜか一九六八年に突然日本に戻り、東大経済学部の助教授になったという。私は六五年にそこを卒業したのだが、もし大学院に進んでいたら、彼に必ず出会っただろう。ただ、その話を聞いた当時、私はとりたてて興味をもてず、今世紀に入って『社会的共通資本』を読むまで、彼の本を読んだこともなかった。関心を抱いたのは、実はそれ以後である。さまざまな謎を感じた。本書を読んで、その謎がかなり解けた感じがする。
 宇沢はもともと数学を志向していて、大学院まで進んだ。ただ、それと同時に、マルクス主義に出会った。共産党には入らなかったが、その分、それは彼の中に深く残ったといえる。以来、経済学について考えるようになったのだが、マルクス主義系では、得意の数学を活用できる余地がなかった。彼が数学的能力を発揮できたのは、新古典派の理論においてであった。その主導者であったケネス・アローの論文を発展させるような論文を書いて、当人に送ったら、突然、スタンフォード大学に招待されたのである。五六年、そのときから、彼の経済学者としての華やかな経歴が始まった。
 当時、アメリカではケインズ主義派と新古典派が争っていた。後者の側では、市場万能論を唱えるミルトン・フリードマンが台頭していた。そして、それはのちに、レーガン大統領の「新自由主義」政策として支配的となった。宇沢が六四年にフリードマンのいたシカゴ大学に移ったとき、すでにその兆候があったといえる。そのとき、宇沢はフリードマンの市場万能論に対して、ケインズ主義によって対抗するのではなく、そのいずれをも批判するような視点に立った。しかし、それを理論化する前に、突然、日本に移動したのである。そして、彼が日本で真剣に取り組んだのは、水俣の公害問題と三里塚の空港問題であった。
 本書を読んで私が感じたのは、この謎を解く鍵は、彼が経済学に向かう前に出会った〝マルクス〟にあるのではないか、ということである。著者は、宇沢が唱えた「2部門モデル」にマルクス経済学の影響を見ている。しかし、それだけではない。私が宇沢の中に見出す〝マルクス〟とは、生産や生産関係だけでなく、人間と自然の交換(代謝)を根底におく思考である。宇沢の「社会的共通資本」という概念は、それを理論化したものだといってよい。彼はそれについて考える場所として、日本を選んだ。マルクスが『資本論』を書く場所としてイギリスを選んだように。
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 ささき・みのる 1966年生まれ。日本経済新聞東京本社経済部、名古屋支社を経て、フリーのジャーナリスト。初の著書『市場と権力』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞。