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松浦寿輝「人外」書評 神か、けだものか 境界に生きる

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2019年06月01日
人外 著者:松浦寿輝 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065147245
発売⽇: 2019/03/07
サイズ: 20cm/269p

人外(にんがい) [著]松浦寿輝

 「人外」というコンセプトに、この小説のすべてが賭けられている。
 主客未分の境地に生まれた主人公は、次第に自己意識を獲得し、一人称単数の主体として世界を認識してゆく。現代哲学を踏まえた、ある種の精神現象学であり教養小説だが、問題は、ヘーゲルやゲーテのそれとは違って、主人公が「人外」であるということだ。
 ある植物の樹液に由来する、ネコともカワウソとも、神ともけだものともつかない「人外」。人間としての過去の記憶をもちながら、人格としての尊厳は与えられない。「ニンゲン」が本来的に関係概念である以上、「人外」は絶対的な孤独のなかにいる。次第に人間的交流にめざめるが、相手をしてくれるのは、チンパンジー、子どもの屍体、瀕死の老人、「表情の零度」の胴元(クルピエ)、図書館を奪われた司書、対人関係を拒む運転手の女、踊る元病院長、ゴンドラ漕ぎのロボット、そして何より哲学者。「ヒト」と「もの」、「ヒト」と「世界」との境界に立つ存在ばかりである。
 それらに導かれて「人外」は、「わたしたち」が一己の「人外」になる契機となった、「他者」としての「かれ」を探し求める。しかし、「人外」自体、「かれ」の疎外と同時に成立した自己定義に過ぎないから、「かれ」は定義により「絶えず不在の者」である。自らの獣性に戸惑いつつ、精神的な成長を遂げる「人外」は、果たして「かれ」に出会えるだろうか。
 「わたしたち」で始まり「ダンスする宇宙」で終わる物語は、「けだもの」サイドのグロテスクな描写から「神」サイドの深遠な思索まで、小説技法的にも手が込んでいる。難解な序盤に戸惑う読者も、胸震わせるエピソードが連打される終盤には、深い感動に包まれているだろう。死を目前にした、老女の口から語られるディラン・トマスの詩を、著者の麗訳で読めるだけでも、この小説を手に取る価値がある。
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まつうら・ひさき 1954年生まれ。詩人、小説家、東京大名誉教授(仏文学・表象文化論)。『名誉と恍惚』など。