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「百年の批評」書評 埋もれた言葉の宝 掘り当てる

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2019年07月27日
百年の批評 近代をいかに相続するか 著者:福嶋亮大 出版社:青土社 ジャンル:文学論

ISBN: 9784791771677
発売⽇: 2019/05/11
サイズ: 19cm/354,12p

百年の批評 近代をいかに相続するか [著]福嶋亮大

 現代日本の言葉は貧しい。単なるコミュニケーションの道具であるうちはまだいい。一方で刺激を求めて過激化した言葉は相手の心を傷つけ、人々を分断していく。それでは言葉の別のあり方はないのか。ある、と福嶋は答える。
 日本文学において、言葉とはもともと呪術的なものだった。世界を彩り、心の内の感情を歌い、死者の魂を慰める。そのとき世界は、目の前にあるだけのものではない。むしろ夢や異界も含めた広大な領域にこそ、そうした言葉は鳴り響いていたはずだ。それは『太平記』や『源氏物語』を見ればよくわかる。
 ならば福嶋は近代を捨てて、前近代に帰れと言うのだろうか。そうではない。そもそも近代を西洋的なものと見なし、前近代を日本に結びつけるという単純な二分法は歴史を忘れている。
 ここで中国文学者でもある福嶋はもう一つの近代を導入する。「明治の西洋化に先立って、日本には中国化(近世化)という意味での『近代化』が」あった。ならば今、目の前にあるものだけが近代のあり方ではない。むしろ僕らは日本、西洋、中国という三つの場所を起点にしながら、近代を拡張していけるはずだ。
 こうして福嶋は、もう一つの近代へのヒントを様々な書き手のテクストに探す。大江健三郎について語りながら、我々には「幻想や予言や象徴」も現実だとするロマン主義が足りないと言う。山崎正和のアメリカ滞在記に登場する、脛に傷持つ移民たちのコミュニティーに、自己を批評的に見ながら他者に寛容であろうとする、ためらいがちの多文化主義を読み取る。
 福嶋には、自分とは政治的立場が違うから読まない、といった硬直した姿勢は一切ない。むしろ、今やあまり読まれないような作品を見つけて、その中に貴重なアイデアを、まるで宝探しのように掘り当てる。こうした彼の反時代的な姿勢こそが、次の時代を切り開く力を持つ。
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 ふくしま・りょうた 1981年生まれ。文芸評論家。立教大准教授。『復興文化論』でサントリー学芸賞。