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「ゴルバチョフ」 革新的な指導者、根底には倫理観 朝日新聞書評から

評者: 出口治明 / 朝⽇新聞掲載:2019年08月17日
ゴルバチョフ その人生と時代 上 著者:ウィリアム・トーブマン 出版社:白水社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784560096963
発売⽇: 2019/05/31
サイズ: 20cm/360,58p

ゴルバチョフ その人生と時代(上・下) [著]ウィリアム・トーブマン

 政治家は、結果責任がすべてである。冷戦を終結させたゴルバチョフは、その意味では間違いなく20世紀の偉大な政治家の一人であろう。本書は人間ゴルバチョフの全てを描こうと11年をかけてチャレンジした傑作である。
 ゴルバチョフは、言論や集会、思想の自由を実現し、ソ連に議会制度を導入して民主主義の基礎を築いた。核兵器を削減し、血を流さずに東ヨーロッパ諸国をソ連の支配から解き放った。ソ連には体制を守るため、ゴルバチョフのような人物を排除する緻密な防御システムがあったはずだ、ソ連のような硬直したシステムから、なぜ彼のような革新的で創造的な指導者が登場したのだろう、と著者は記す。「ゴルバチョフは謎だ」。これはゴルバチョフの言葉だが、著者は果敢にこの謎に挑んでいく。
 子どもの頃から、ゴルバチョフは信頼され正直で公正な生まれながらのリーダーだった。モスクワ大学で同志というべきライーサに出会い2人は結婚した。ゴルバチョフは地方勤務からキャリアをスタートさせ出世の階段を上り始める。誰よりも優秀で勤勉でかつ慎重だったからだ。海外視察を終えたゴルバチョフは、ソ連の国民の低い生活水準に疑問を持つ。そして、ソ連に必要な変革は上からの意思で進めるほかに方法がないと思い定める。アンドロポフ書記長の引きもあって、ゴルバチョフは1985年に最高指導者に推挙された。若くて活力に満ちたリーダーの誕生に、国内はわいた。
 ゴルバチョフが最初に取り組んだ施策の一つが飲酒規制だった。もちろん失敗に終わったが早くも彼の理想家肌が顔を出す。ゴルバチョフは、グラスノスチ(情報公開)をペレストロイカ(改革)の切り札にしようと考える。政治と倫理は結合できるという確信と、暴力の否定がゴルバチョフの政策を深層で支える倫理的基盤だが、チェルノブイリの惨状が核戦争の回避へと向かわせた。ゴルバチョフの新思考外交は華々しい成果を収めたが、国内の政局は困難の連続だった。89年には議会制度が導入されゴルバチョフ人気は頂点に達したが、彼は保守派とリベラル派の双方から攻撃を受けた。ベルリンの壁が崩れた時でさえゴルバチョフが外交に当てる思考は5~6%だった。それほど国内問題に忙殺されていたのだ。そして91年のクーデターが破局へ導く。
 著者は相矛盾する第1次資料を紹介しゴルバチョフの多面的な人間性を浮かび上がらせる。クレムリンの内幕にも興味をひかれるが何よりも家庭を大切にした端正な道徳観には感動を覚える。ソ連を崩壊させ経済危機を招いたとするロシア国内の厳しい評価は、いつの日か好転するのだろうか。
    ◇
 William Taubman 1940年生まれ。米国の政治学者・歴史学者。専門はロシア・ソ連政治外交史。フルシチョフの生涯とその時代を20年かけて描いた著作で、ピュリツァー賞と全米批評家協会賞を受賞。