1. HOME
  2. コラム
  3. 古典百名山
  4. 規則は行為を決定できるか ウィトゲンシュタイン「哲学探究」

規則は行為を決定できるか ウィトゲンシュタイン「哲学探究」

Ludwig Wittgenstein(1889~1951)。オーストリア出身で後に英国籍を取得。哲学者。

大澤真幸が読む

 分析哲学と呼ばれる哲学の流派の原点に、20世紀前半の哲学者ウィトゲンシュタインがいる。『哲学探究』は、彼が後半生に書き溜(た)めた手稿である。
 本書で最も重要な命題は「規則は行為を決定できない。いかなる行為の仕方もその規則と一致させられるから」という逆説。アメリカの哲学者S・クリプキは、『ウィトゲンシュタインのパラドックス』でウィトゲンシュタイン本人以上に明晰(めいせき)にこの命題の含意を引き出している。
 例えば誰かXが「38+43=6」と解答したとする。私たちは、Xは加法の規則がてんでわかっていないと思うだろう。だがもしXがこの解答が加法の規則に適(かな)っていると証明できたとしよう。「6」のようなとんでもなく外れた解答でもパスするなら、どんな数でも加法の規則に従っていると見なすことができるはず。このとき、加法の規則は正しい行為(正解)を決定できない、ということになる。ウィトゲンシュタインの命題が含意しているのはこういうことである。
 だが、先の「もし」の部分がとうてい成り立ちそうもない。ところが成り立つのだ! 「6」でも加法の規則に合致していると見なすことができるということを、クリプキは論証してみせる。ここで、そのスリリングな議論の展開を紹介できないのは残念だ。結局、「加法の規則に従っているなら、Xは『38+43』に『81』と答えるだろう」(〈1〉)と言うことはできない。
 だが、ここが終わりではない。ウィトゲンシュタイン=クリプキによれば、「『38+43』に『81』と答えないならば、Xは加法の規則に従っているとは見なされない」(〈2〉)と言うことは許される。ここでまた躓(つまづ)くだろう。〈1〉と〈2〉は論理学で言う対偶の関係にあり、同じ意味だ。〈1〉が否定されれば、〈2〉も退けられるはずではないか。
 〈2〉の言明には、Xに「それは誤りだ」と言う他者Yの存在が暗示されている。『哲学探究』が最終的に目ざしている論点がここにある。人間存在の本源的な社会性、これだ。=朝日新聞2019年8月17日掲載