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岸政彦「図書室」書評 行き場失う世界に残された希望

評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2019年09月07日
図書室 著者:岸政彦 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103507222
発売⽇: 2019/06/27
サイズ: 20cm/173p

図書室 [著]岸政彦

 著者は社会学者で、丁寧なフィールドワークを通じ、戦後沖縄社会とそこに暮らす人々の複雑な思いを浮かび上がらせてきた。現代社会学の一つの可能性を鮮やかに示してきた研究者の一人である。
 同時に、著者はエッセーの名手でもある。様々な人々との出会い、沖縄や大阪などの地域との関わり、猫への愛情などを、抑制の効いた、しかしどこか喪失感のある文体で描く。
 興味深いことに、エッセーを読んでいると、著者が研究者であることに居心地の悪さを感じている様子がうかがえる。街角で出会った人とすぐ親しくなれる優れたフィールドワーカーは、そのような自分の資質に違和感を覚えているようにさえ思える。
 著者は近年、さらに小説を書くようになっている。本作の50歳になる主人公の女性は、10年間生活を共にした男性と別れ、現在は一人暮らしをしている。その彼女が最近、昔のことをよく思い出す。10歳の時に、公民館の図書室で出会った少年との思い出だ。
 ふとしたきっかけから、少女と少年は世界の終わりをめぐる想像を膨らませていく。そして街中をさまよい、淀川の岸辺を歩く。大阪弁の快いリズムによって幻想的な世界が展開するが、同時に主人公たちの家族の様子も具体的に描かれる。
 小説の冒頭で、昔は宅配便は、人に何かを送るためのものだったのが、いまは自分でネットで注文したものが届くという一文があるのが印象的だ。それはこの小説で描かれる世界を暗示する。そして小説とともに収録された巻末のエッセーで、著者は「この世界にはなにか温かいものがある」ことを飼っていた犬に教わったと記す。
 様々な思いが行き先を失って自分に戻ってくる一方、この世界にはどこかまだ希望のようなものが残されている。社会学者である著者が、なぜ論文でなく小説に思いを託したのか、いろいろと考えてしまう。
    ◇
きし・まさひこ 1967年生まれ。社会学者。著書に『断片的なものの社会学』『ビニール傘』『はじめての沖縄』など。