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「この国の不寛容の果てに」書評 「本心」の語りが許される社会に

評者: 本田由紀 / 朝⽇新聞掲載:2019年11月02日
この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代 著者:雨宮 処凛 出版社:大月書店 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784272330973
発売⽇: 2019/09/16
サイズ: 19cm/271p

この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代 [編著]雨宮処凜

 旅先で乗ったタクシーの運転手の人が、「みんな、おかしくなってるんですよ」と静かに言った。ネット上では、自動車に突然駆け寄りフロントガラスを叩き割る男のドライブレコーダーの動画や、すれ違いざまに人を突き飛ばして大けがをさせた事件の報道が流れる。苛立ちの水位が日々上昇していることを感じる。
 それを凝縮したような事件が、すでに3年前に起こっていた。障害者19名が殺された相模原事件である。衝撃的なこの事件を切り口として、雨宮処凛さんと6名の論者が語り合った記録が本書だ。雨宮さんも対談者も、障害者、精神疾患、高齢者などの介助や治療、取材に長く取り組んできた方々、あるいは当事者であり、事件で命を奪われた側に立って、それを生み出した社会を見つめている。
 事件の被告に関して、重い言葉が並ぶ。「障害を持つ人たちの発する言葉を、彼は聞くことができなかった。それに、人の声が聞けなかっただけでなく、自分の声も聞けなかったのではないかと思います」(熊谷晋一郎)、「国の借金が膨大だ、だから命の選別も仕方ない。あるいは、それぞれ我慢して耐え忍ぶしかない。そういう短絡はみんなの幸せには結びつかない」(森川すいめい)、「典型的な優生思想のロジックで脚色した〝即席のステージ〟で、彼はそこに居直っている」(向谷地生良)。
 その上でどの論者も、社会に広がる鬱屈に思いを馳せる。「戦後民主主義的な正しさに対する反発とか苛立ちですね」(神戸金史)、「自分に足りないものを社会から責められているという感覚をみんなが持っているのかな」(岩永直子)、「漠然とした剥奪感が先にあって、それを正当化するために敵を見つけようとしている」(杉田俊介)。
 露悪的な「本音」から、自分の弱さも認められる「本心」の語りへ。それが許される場や関係が広がりますように、と願わずにはいられない。
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 あまみや・かりん 1975年生まれ。作家・活動家。貧困格差の問題に取り組む。『「女子」という呪い』など。