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「バンクシー」書評 価値覆すデュシャンの鬼っ子

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2019年11月23日
バンクシー 壊れかけた世界に愛を 著者:吉荒 夕記 出版社:美術出版社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784568202755
発売⽇: 2019/09/10
サイズ: 21cm/231p 図版6枚

バンクシー 壊れかけた世界に愛を [著]吉荒夕記

 前代未聞の出来事が起こった。ロンドンのオークション、サザビーズで売り出された作品が、衆目の面前で額縁の底から無数に切られた短冊になってズルズルと落ち始めた。そんな様子がテレビ、新聞等によって報道され、この作品の作家バンクシーは一躍世界的なアーティストになった――。
 とは、私の認識不足で彼はすでにストリートアーティストとして世界各地で物議を醸し続けている。覆面作家としてその存在は怪盗ルパンのように神出鬼没。だが、ルパンのように物を盗まない。むしろ作品を建物の壁などに描き残して姿をくらます。その絵の価格は驚異的な高騰ぶり。
 そんなバンクシーの作品は強烈な社会批判を続けながら美術の制度も根底からひっくり返す痛快さ。20世紀の美術の価値を転覆させたデュシャンの鬼っ子でもある。デュシャンは既成の日常品を選んで、〈新しい主題と観点のもと〉に本来の機能を逸脱することで〈新しい思考を創造〉した。
 このかつての革命的な美術的事件の延長にバンクシーの匿名的でスラップスティックな身のこなし方は位置づけられる。デュシャンの亡霊を演じ続けながらアートの従来の機能を無化させ、美術界に限らずマスメディアを喜ばせて、その行状は常にニュースソースになる。
 本書の著者はそんなバンクシーの点と線を追跡しながら、現地で直接体験し、「アートとは何か」を冷めた視線と感性で追い続け、バンクシーのミステリアスで不可解な創造と行動の核心に迫っていく。
 私はバンクシーのようなプロパガンダ作家とは対極の、主張をしないことを主張することで現実や社会に関わっているような気がしています。本書を読みながら私は、ピカソが観光客の集う海辺の砂浜に棒切れで絵を描き、それが波に攫われるのを見て喜ぶエピソードをふと思い出して笑うのだった。
    ◇
よしあら・ゆうき 1959年生まれ。ロンドン在住。『美術館とナショナル・アイデンティティー』など。