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佐藤賢一「ナポレオン」 自負と不安 現代日本映す人間像 朝日新聞書評から

評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2020年01月11日
ナポレオン 1 台頭篇 著者:佐藤 賢一 出版社:集英社 ジャンル:小説

ISBN: 9784087711974
発売⽇: 2019/08/05
サイズ: 20cm/525p

ナポレオン 1台頭篇/2野望篇/3転落篇 [著]佐藤賢一

 ナポレオンは、日本人の心をくすぐる存在らしい。今に始まった話ではない。吉田松陰や西郷隆盛の話が有名だろう。松陰は野山獄中で、隆盛は倒幕への思いを募らせるなかでナポレオンの伝記を読み、胸を熱くしている。彼らにとってナポレオンは、コルシカ島の独立運動に参加し、その挫折後も自由の闘士としてヨーロッパ諸国の解放に尽くした英雄であった。
 近年、再び話題を呼んだ吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』にも、ナポレオンが出てくる。上級生たちにいじめられた主人公のコペル君たちにとって、運命の苦難と立ち向かい、それを乗り越えていったナポレオンは勇気を与えてくれる人物であった。コペル君の助言者(メンター)であるおじさんも、皇帝になったナポレオンには批判的だが、人類の進歩に尽くしたその活動力をたたえている。
 それでは現代日本にふさわしいナポレオン像はあるのか。これまでも史料を駆使しつつ、読みでのある歴史小説を書いてきた佐藤賢一が満を持して発表したのが本書である。台頭篇・野望篇・転落篇と3巻にわたり、コルシカに生まれたナポレオンがフランスで軍人教育を受け、革命後のフランスで将軍として活躍、輝かしい栄光とともに皇帝となり、そして没落してセント・ヘレナ島に送られるまでを描く。
 軍事的天才としてのナポレオンの姿は、やはり読者をワクワクさせるものがある。その秘訣は機動力にあった。考えられない経路によって軍団を移動させ、拠点に集結させて相手より数的優位に立つ。それを可能にしたナポレオンの戦略眼とロジスティクス(兵站=へいたん)を含むスピード感は、停滞する現代日本にとって痛快だろう。
 が、本書全体で印象的なのはむしろ、孤独で、自負心と不安感が目まぐるしく転換するナポレオン像ではないか。彼は故郷コルシカから追放されてフランスに行く。そこにあったのは挫折感と、自分はどこにも属していないという浮遊感であった。軍事的活躍によって台頭した後のナポレオンにも孤独がつきまとう。家族を起用するが全幅の信頼をおけず、配下の将軍たちに支えられつつ、どこかで裏切りを予感している。
 登場人物で精彩があるのは、妻となるジョゼフィーヌを始めとする女性たちだろう。しかし彼女たちに向き合うナポレオンもまた、その愛情を求めつつ、自信を持ちきれない。自分が愛されているかに不安を持ち、結果的に彼女たちを傷つける。マッチョというより、どこか冴えない中年男性として描かれるナポレオンが印象的だ。
 バランスを欠いた才能と、自分に対する不安。現代日本らしいナポレオン像かもしれない。
    ◇
 さとう・けんいち 1968年生まれ。93年、『ジャガーになった男』で小説すばる新人賞。99年、『王妃の離婚』で直木賞。2014年、『小説フランス革命』(単行本全12巻)で毎日出版文化賞特別賞。