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「デッドライン」書評 境界線の手前で回遊する青春

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2020年02月08日
デッドライン 著者:千葉雅也 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103529712
発売⽇: 2019/11/27
サイズ: 20cm/161p

デッドライン [著]千葉雅也

 この小説は「暗闇」から始まる。男が男との性的邂逅を渇望する衝撃の導入部。「目が慣れてくる」につれ、著者と読者の共有する読書体験は深まってゆく。
 筋の基本は、知子とKと「僕」の三角関係を中心とする青春群像劇。これに父殺しの主題が加わる。1990年代初頭のテレビドラマを思わせるが、違うのは、「僕」の淡く報われない恋愛感情が、最も「近い」知子ではなく、Kという男に向けられていることだ。男女2対1の関係性はすべて「あべこべ」に。「方向感覚」を失った「僕」は「速度」を失い、「駐車場」や「河川敷」や「ドトール」が暗示する時間と空間の境界線の「手前」で、「魚」のように「回遊」する。駐車場を走り抜けた「猫」は、一瞬の啓示をもたらして姿を消した。
 一線を越えることへの「不安」のなかで、「僕」に救いの手を差し伸べたのはフランス現代思想だ。「人間=男性」の「道徳」が、実は多数派の支配を維持するための装置にほかならないことを暴き出し、価値観を共有できない少数派の抵抗を正当化する。後者の動物化と女性化をめぐる「僕」の思索は、若々しく切実でそして生々しい。
 ひょっとして著者は、現代哲学の入門教科書として本書を執筆したのではないか。国立大学法人化直前の東大駒場・表象文化論研究室の記録としても、これは価値があるだろう。「僕」を指導する「徳永先生」(モデルは中島隆博か)のなんと魅力的なこと! 論文が仕上がらず父の会社も倒産して、締め切り=死線(デッドライン)に立つ「僕」に対し彼が発した一言には、胸がすく想いがする。
 しかし、そうした「安心」を切り裂くように、行きずりの男性との性交渉を語る黒光りする描写が、絶えずしかも脈絡なく侵入してくる。それがこの小説を「凡庸」の対極へと連れてゆく。感動的なラストか、と見せかけて、「僕」は性懲りもなく男を求めて、「夜の底」へと向かうのだ。
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 ちば・まさや 1978年生まれ。立命館大准教授(哲学、表象文化論)。本作で野間文芸新人賞。著書に『勉強の哲学』。