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「椿井文書」書評 求められる歴史 次々に「証明」

評者: 呉座勇一 / 朝⽇新聞掲載:2020年05月23日
椿井文書 日本最大級の偽文書 (中公新書) 著者:馬部 隆弘 出版社:中央公論新社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784121025845
発売⽇: 2020/03/18
サイズ: 18cm/257p

椿井文書(つばいもんじょ) 日本最大級の偽文書 [著]馬部隆弘

 架空の作成者や虚偽の作成年代を意図的に記した文書を偽文書(ぎもんじょ)という。中世から現代まで、日本では無数の偽文書が作成された。しかし、そのほとんどは、専門の歴史学者なら一目で偽物と見破れる稚拙な代物だ。
 ところが、19世紀前半に椿井政隆が偽作した古代中世の文書・由緒書・系図・絵図(以下、「椿井文書」と総称)には多くの専門家がだまされた。著者によれば、30以上の自治体史が椿井文書を肯定的に引用しているという。なぜか。
 筆跡を使い分けるなど、椿井政隆の偽作のテクニックは確かに巧妙だ。だが、だまされた最大の要因は椿井文書の規模だ。
 椿井文書は主要なものだけで200点、しかもそれらが滋賀・京都・奈良・大阪などに広く散らばっている。Aという史料の内容が、遠く離れた地域にあるBという史料のそれと一致すれば、つい信じてしまう。椿井文書の分布を把握していなければ、まさかAとBが同一人物の作品とは思わないからだ。
 とはいえ、椿井存命時から疑いを持つ人は少なくなかった。にもかかわらず椿井文書が今日まで命脈を保ってきたのは、人々の需要に応えるものだったからだ。隣村との裁判に勝利したい、先祖が武士だったことにしたい、由緒ある神社であると宣伝したい――椿井政隆は彼らの求める歴史像を「証明」する史料を次々と偽作した。
 近代以降も、椿井文書に基づき石碑が建てられ、史跡が指定された。そうした偽の史跡が地域学習や町おこしに活用されている事例すらある。一方、歴史学界は椿井文書の怪しさに気づいても、行政や郷土史家との軋轢(あつれき)を避け、口を閉ざしてきた。あえて火中の栗を拾った著者の使命感に敬意を表したい。
 もっとも、本書は肩ひじ張った糾弾本ではない。椿井政隆という個性的な愉快犯の不思議な魅力にも迫っている。
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 ばべ・たかひろ 1976年生まれ。大阪大谷大准教授(日本中世史・近世史)。著書に『由緒・偽文書と地域社会』など。