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「動きだした時計」書評 日越に引き裂かれた父子つなぐ

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2020年07月25日
動きだした時計 ベトナム残留日本兵とその家族 著者:小松みゆき 出版社:めこん ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784839603212
発売⽇: 2020/05/28
サイズ: 19cm/317p

動きだした時計 ベトナム残留日本兵とその家族 [著]小松みゆき

 「私ノ父ハ、日本人デス」。1992年、在留邦人はまだ少ないベトナムで著者はその言葉に耳を疑った。父は、かつてこの地を占領し、敗戦後は現地で独立戦争に身を投じて家族をもうけた残留日本兵だった。ところが54年、彼らは突如帰国する。音信が途絶えるなか、帰還を待ちわびる妻子だけが残された。
 著者は長年、この家族たちに代わって父親捜しに奮闘する。本書の中心は「同じ街に住んで、彼らと日々顔を合わせ」てきた著者ゆえに、それぞれの家族が明かした過酷な歳月にある。ベトナム戦争の渦中では米国につく「日本人の子」と差別されたが、皆で結束して乗り越え、父への思慕は揺るがなかったという。
 他方、残留兵の過去に踏み込む探索は、本人や日本側の家族の戸惑いもあり、難渋した。だからこそ、周囲を説得して、ベトナムで待つ家族と父との再会へ動き出す娘の姿が鮮やかに映る。二つの家族の出会いの描写は、互いと連絡を絶やさぬ著者ならではだ。培った信頼と人の輪が幸運をよびこみ、ついには家族訪日団の墓参へこぎつける。
 なぜそこまで親身に関わったのか。残留兵の子どもと同世代の著者にとり、青年期はベトナム反戦の時代だった。苦学の末、職場で身につけた「調べてまとめる」力が、20代に「思いを寄せた国」で開花する。その軌跡は、戦後民主主義の体験をバネに、冷戦後の日越関係を草の根から変えた民際交流史と言えよう。
 それでも読後、残留や帰国の真相を、元兵士たちが語らぬまま逝った事実は重く残る。ここで、巻末の解説や当事者の手記・手紙が活きてくる。50年代に中国とベトナムの関係が深まると、独立戦争に元日本兵が貢献した事実は後景に退けられていった。共産圏から帰国した元兵士たちも、公安警察の監視や周囲の差別で厳しい境遇を生きた。家族を引き裂いた各国の、いわば冷戦責任は、まだ果たされていない。
    ◇
 こまつ・みゆき 1947年生まれ。92年、日本語教師としてベトナムへ。ラジオ「ベトナムの声」シニアアドバイザー。