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「金閣を焼かなければならぬ」書評 語り得ぬものに迫る臨床医の筆

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2020年09月05日
金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫 著者:内海 健 出版社:河出書房新社 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784309254135
発売⽇: 2020/06/23
サイズ: 20cm/223p

金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫 [著]内海健

 金閣を炎上させた若き僧侶・林養賢に対して、精神科医の「メタフィジカルな感性」を駆使して肉薄し、人間と社会、文学と制度、主観的精神と客観的精神の根本問題に迫ろうとした、全体化的モノグラフの傑作。
 各分野の古典へ目配りを怠らず、常に地図を示しながらのナビゲーションは、読者に安心と納得を与える練達の臨床医の筆である。なかでも三島由紀夫の名作『金閣寺』を携えての道行きであることは、主人公溝口の科白(せりふ)から採られた書名からも知られよう。「リアリティーへの回路が半ば閉鎖」された言語を駆使した「離隔」の作家を探る第一級の三島論にもなっている。
 放火犯養賢は、著者の見立てでは統合失調症の無症状患者(著者はあえて「分裂病」という当時の呼び名で通している)。犯行の7カ月後の発症は、すでに回復への折り返し地点である。養賢の「ねばならぬ」はカントのいう定言命法であって、「零度の狂気」の動機を問うても仕方がない。
 他方、「分裂病にはなりえない」青年三島は、編集者坂本一亀(音楽家坂本龍一の父)にしぼられて、やむなく書いた「一人称単数」の小説『仮面の告白』で文壇の寵児(ちょうじ)になる。その彼もまた、小説『金閣寺』を通じて、「ナルシシズムの球体」としての金閣を滅ぼさなければならなかったのだ。
 出来事としての「分裂病」へのアプローチは、「了解が挫折したところから始まる」。「社会というフレーム」にぶつかって初めて像を結ぶ「狂気」を主題化するためには、彼が抗(あらが)った「得体(えたい)の知れぬ他者」としての「言語」「社会」「制度」「権力」を問うと同時に、そこで彼が示した「実存の強度」そのものに向き合う必要がある。
 著者は、「語り得ぬもの」としての金閣放火にとどまらず、養賢と三島のその後をも執拗(しつよう)に追跡する。問題意識の拡がりは、1968年のパリ5月革命に想いを馳せるあとがきにも明らかだ。何を引き出すかは、読者次第だということだろう。
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 うつみ・たけし 1955年生まれ。精神科医、東京芸術大教授。著書に『自閉症スペクトラムの精神病理』など。