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ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」 過去の敗者を救う「今の時」

Walter Benjamin(1892~1940)。ドイツの思想家

大澤真幸が読む

 マルクス主義の思想家ベンヤミンは今からちょうど八〇年前、ナチスからの逃亡の途上、ピレネーの山中で自殺した。この逃避行にも携行した、彼の絶筆原稿が「歴史の概念について」、十九のテーゼから成る短いテクストだ。誰も聞いたことがない歴史と時間についてのふしぎな見方が提起されている。

 普通の歴史は、均質で空虚な時間を前提にしている。その空っぽの容器のような時間を、大量の事実で埋めていくのが歴史である。諸事実は因果関係で結ばれて、物語のような叙述の中に並べられる。この意味で歴史は滑らかに連続している。

 それに対してベンヤミンが提起しているのは、ごつごつとした不連続の歴史、不連続な粒(モナド)の集まりのような歴史である。過去へと眼(め)を向けた「歴史の天使」は瓦礫(がれき)の上に瓦礫が積み重なっているのを見る。

 どういう意味か。鍵は「今の時」という概念。歴史は「今の時」(不連続な粒のこと)に充(み)ちた時間で、例えばロベスピエール(フランス革命の英雄)にとっては、古代ローマの(帝政に呑〈の〉み込まれて消えた)共和政が今の時を孕(はら)む過去だ、と。

 歴史というものは一般に、現在を終点とする終末論の構成になっている。歴史は、今がどうしてこのようなのかを説明しようとする。すると、今のこのあり方を形成するのに貢献した出来事が、因果関係にそって並べられる。今を「終末」とするこの歴史に記録されているのは、現在にその功績を留(とど)める広義の勝者たちである。

 しかし、今この瞬間、歴史の連続性を壊す根本的に新しいことが起きた、あるいは起こされたとしたらどうか。これは、過去をそこから眺める「終末」が置き換わったことを意味する。すると今の自分たちは、勝者になれなかった敗者――連続的な歴史の中で無視されていた失敗や願望――こそを継承していることに気づく。この過去の敗者が、今の時を孕む過去である。ゆえに、革命は同時に過去の救済でもある。=朝日新聞2020年9月19日掲載