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「レイラの最後の10分38秒」書評 イスタンブール底辺の熱き友情

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2020年10月24日
レイラの最後の10分38秒 著者:エリフ・シャファク 出版社:早川書房 ジャンル:小説

ISBN: 9784152099624
発売⽇: 2020/09/03
サイズ: 19cm/372p

レイラの最後の10分38秒 [著]エリフ・シャファク

 イスタンブールで性を売る一人の女性レイラが悲惨な暴力で命を落とす。
 ゴミ箱に捨てられたその遺体はすでに心停止し、呼吸もないが、意識だけが残っている。それも微妙な10分38秒という時間だけ。
 小説はそもそもこうした時間の制御によって物語を左右するものなのだが、作者エリフ・シャファクは見事にその根本的魅力を汲み出すのに成功している。
 第一部「心」では、わずかな時間にレイラは自分の抑圧された生い立ちを思い出し、かけがえのない数人の友人たちとのエピソードが様々に甘く追憶される。
 ソマリアのムスリム一家の出身、北レバノンの生まれ、アナトリアの豪農の家庭に育ったトランスジェンダーなどなど、どの友人も社会の中で偏見にまみれ、イスタンブールという都会で地位も低いけれど、しかしみなレイラに温かい。
 いや彼ら以上に、作者こそがこうした周縁的な人物たちを尊敬してやまず、限りなくユーモラスな逸話や比喩をもって語ってゆく。それは政治的に不寛容になりつつあるトルコへの鋭い批判でもあり、事実この女性作家は当局からマークされた過去があるし、今もロンドンに住んでいる。
 さて第二部「体」では、読者の心をすっかりつかんだ友人たちが、レイラの遺体を尊厳ある場所へ奪還しようと胸熱くなる行動に出る。そして結末はほんの短い第三部「魂」へと続き、どんな悲劇があろうとも、それが小説に書かれること自体がひとつの奇跡を生む事実を証明してやまない。
 日本でも「噂(うわさ)供養」という言葉があったのだと、東京下町の物知りに教わったことがある。亡くなった人がああだったこうだったと語ること、今はあの世でこうしているだろうと話しあうこと。それこそが何よりの供養だというのだ。
 誇りを持って生きた主人公テキーラ・レイラという女性についてこの場で書評することも噂供養だと思うと、私も満ち足りてくる。
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Elif Shafak 1971年生まれ。作家。仏でトルコ人の両親のもとに生まれる。英国在住。トルコ語と英語で執筆。