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「日本語を、取り戻す。」書評 空疎な説明は「非科学的」の典型

評者: 須藤靖 / 朝⽇新聞掲載:2020年11月07日
日本語を、取り戻す。 著者:小田嶋隆 出版社:亜紀書房 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784750516608
発売⽇: 2020/09/10
サイズ: 19cm/311p

日本語を、取り戻す。 [著]小田嶋隆

 タイトルから、巷(ちまた)に溢(あふ)れる怪しげな日本語に警鐘を鳴らす本だと勘違いして読み始めたところ、良い意味で完全に裏切られた。
 著者が今まで発信してきたコラム33編からなる本書は、政治家の発言と、それを巡る新聞社に代表される報道機関の記事が、いずれも理解できないほど劣化しているにもかかわらず、社会がそれに慣れっこになってしまった現状を、一貫してややシニカルにしかし論理的に憂えている。
 著者は安倍前政権に対して極めて批判的であり、「いちコラムニストが、日本語の守護者として安倍晋三その人と対峙(たいじ)してきたスコアブックの如(ごと)き書物になっている」と自認するほど。
 その批判自体の妥当性は別として、問題の元凶がそこで用いられている日本語の空疎さと無意味さにあるとの著者の結論には激しく同意する。その上で、本書のタイトルは「科学的であれ」と同義だと解釈した。
 科学とは、専門家が難しげな知識を振りかざして、勝手な結論を押し付けるものではない。仮に自分にとって自明であろうと、誰もが納得できるような証拠を提示し、論理的にその結論を導く過程こそが科学。自分の主張とは一見矛盾するような事実であろうと包み隠さず、その解釈を論理的かつ徹底的に議論し尽くすことが科学の方法論だ。
 言うまでもなくその方法論は、狭い意味での理系分野のみならず、社会のあらゆる局面で共有されるべきだ。それこそが科学的という言葉の本質なのである。「日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌(へんぼう)」「国民に対して、起こっていることをまともに説明しようとしない」は、非科学的姿勢の典型例だ。残念ながら、その体質は現政権でも踏襲されたままらしい。
 著者は、報道側もその異常さに慣れてしまい、政権に「忖度(そんたく)」し「追及しやすいネタだけ追いかけ回してないか?」と畳み掛ける。今こそその疑問をはね返すような報道を期待したい。
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おだじま・たかし 1956年生まれ。コラムニスト。著書に『超・反知性主義入門』『ザ、コラム』など。