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「誰かの理想を生きられはしない」書評 痛みをさらして届けられた言葉

評者: 温又柔 / 朝⽇新聞掲載:2020年11月14日
誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史 著者:吉野 靫 出版社:青土社 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784791773138
発売⽇: 2020/10/10
サイズ: 19cm/209p

誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史 [著]吉野靫

 女/男という分類に当てはまらない人たちは、それぞれの生をどのように引き受けざるを得ないのか?
 著者は、「本当の」男女を追求する必要はない、と「あとから生まれてくる者たち」に呼びかける。
 「踏みにじられた痛みと屈辱は消えないかもしれないが、己を踏みにじったものより先に消えてしまうのはよそう。くたばるのは、忌々(いまいま)しい社会や歴史を書き換えてからでも遅くない」
 この「忌々しい」社会に安住していられる私たちは、今、この瞬間も、自分たちとは異なる存在を踏みにじっているのかもしれない。その可能性を、まずは受け入れよう。そのこと自体に怯(おび)えていては、一歩たりとも先には進めないから。家族や社会の枠組み、男/女という、根深い二元論に基づいた性別は、本当に永遠不変なのか?
 疑ったことがない者ほど、疑ってみる必要がある。
 「全ての人が己の特権と向き合えば、マイノリティが『聞いてくれ』と叫び続ける労力を、わずかに減らすことができるかもしれない」
 マイノリティが「叫び続ける」のは、そうしなければ、生き延びられないためだ。一方には、特別な労力を払わなくても何となく生きていられる私たちがいる。私たちは、そこに確かにいるはずなのに、姿を見えなくさせられている人々の不穏な呻(うめ)きを無視もできる。だからこそ、「工夫を迫られる状況自体が不本意で、アンフェアである」にもかかわらず、真摯(しんし)に、丁寧に、己の痛みを晒(さら)しながら著者は、私たちに届けるための言葉を吟味する。
 これ以上、私たちの無責任な「理想」の中に、私たちと同じように生きる権利があるはずの人々を閉じ込めないためにも、著者がしぼりだすように紡いだ言葉と、私が、そう、私たちではなく、そのうちの一人である私という個人として、私たちの一人ひとりが向き合わなければ、社会全体の意識が向上するはずはない。
    ◇
 よしの・ゆぎ 立命館大衣笠総合研究機構プロジェクト研究員。トランスジェンダー当事者。本書が初の単著。