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「僕の大統領は黒人だった」 苦悩が育んだ柔らかな「社会派」 朝日新聞書評から

評者: 生井英考 / 朝⽇新聞掲載:2021年01月16日
僕の大統領は黒人だった バラク・オバマとアメリカの8年 上 著者:タナハシ・コーツ 出版社:慶應義塾大学出版会 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784766427059
発売⽇: 2020/11/14
サイズ: 20cm/259p

僕の大統領は黒人だった バラク・オバマとアメリカの8年 下 著者:タナハシ・コーツ 出版社:慶應義塾大学出版会 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784766427066
発売⽇: 2020/11/14
サイズ: 20cm/227p

僕の大統領は黒人だった バラク・オバマとアメリカの8年 [著]タナハシ・コーツ

 あの米連邦議会「襲撃」事件の後ではもはや思い出すことさえ難しいが、いまから12年前、「ポスト・レイス」(脱人種)という言葉が、つかのま、輝かしい希望と感じられたことがあった。
 2009年、初の「黒人」大統領となったオバマ氏の就任式前後のことである。だが次第に「黒人大統領を実現したアメリカにもはや人種差別は存在しない」とする的外れの謬見(びゅうけん)が広まり始める。
 そもそもオバマは「人種的にあいまい」といわれた。「奴隷の子孫」ではないという生い立ちもさりながら、人種に関わるどんな問題でも「融和」を説いて隠忍自重を崩さず、それが「保守」を自称する反動勢力につけこまれた。彼の知的な能力や清廉な人柄を認める人ほど、「オバマのジレンマ」に深く悩まされたのである。
 しかしながらこのジレンマは、その痛苦のぶんだけ、新しく柔軟な知性と感性をひそかに育んでもいたのかもしれない。本書はそんな思いを抱かせる新しい「社会派文学」だ。
 各章は08年の大統領選のさなかから8年余り、論壇誌「アトランティック」に発表された折々の社会批評やルポルタージュだが、どれも古びることなく、そのつどの希望や困惑、失望や怒りを得がたく描き出す。
 当初、オバマのさっそうたる登場に「風立ちぬ」と感じて身ぶるいした黒人青年の著者は、インタビューしたミシェル・オバマの堂々たる物腰にけおされ、黒人客のいない南北戦争史跡ツアーに熱中し、マルコムXを再考し、それらの記事が高く評価されて、やがて大統領に会うまでになる。
 しかしその過程で、人種差別を外科的に除去可能な「腫瘍(しゅよう)のようなもの」と思った自分の未熟を悟り、最初のアフリカ人奴隷から4世紀にわたる歴史は「白人への優遇措置」だという認識を得る。そして最終章では「白人であり、そうでなければ大統領にはなれなかった」ドナルド・トランプこそ「アメリカ史上初の白人大統領」だという卓抜な逆説に至るのである。
 いまやアメリカ文学の次代のリーダー、「ジェームズ・ボールドウィン亡き後の空白を埋める存在」とまでいわれる著者の文体にはヒップホップの影響があると解説されるが、評者はもうひとつ、本書の筆致にブロガー出身という物書きとしての生い立ちを感じる。
 もともと私的なつれづれに適したブログは読者がどこにいるかもわからない点で「私」でも「公」でもないあいまいさに揺れる。それが小さな池の水面のように、迷いもためらいも、期待も微苦笑も映し出す。そこで培った柔らかさが、オバマの雄弁を超えて、希望と確信を語る日を待ち望みたい。
    ◇
Ta-Nehisi Coates 1975年生まれ。米誌「アトランティック」を中心に執筆活動を続け、著書に『美しき闘争』、全米図書賞を受賞した『世界と僕のあいだに』など。昨年は初の小説も発表した(未邦訳)。