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「民俗知は可能か」書評 敬愛する先達論じ 体系を再考

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2021年02月20日
民俗知は可能か 著者:赤坂憲雄 出版社:春秋社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784393424612
発売⽇: 2020/12/02
サイズ: 20cm/381p

民俗知は可能か [著]赤坂憲雄

 民俗学の枠組みを離れて、裾野を広げることで視野や体系が再整理できるのではないか。「民俗知」というタイトルにはその思いが込められている。
 著者は民俗学者として多くの論稿を発表しているが、この書は過去の稿を再録しながら、民俗知に該当すると考える「敬愛する」5人の先達を取り上げて民俗学の方向性を模索する。もともと民俗学は、〈あるく・みる・きく〉という方法論で成り立つ。いわば机上の学問ではない。柳田国男を主流とし、宮本常一を傍流としながら、2人が牽引(けんいん)役となって進んできた。5人の中にはむろんこの2人も入っているが、柳田民俗学は、前提として「稲とイエ」があり、そこに祖霊とそれを祀(まつ)る人々がいる、というのが原風景だとする。
 常民はいかに暮らしてきたかを探求した明治・大正期の柳田の仕事と絡ませて、近代日本における研究史が論じられる。この書には図らずも民俗学のありようが、柳田や宮本を通して展開されている。
 宮本に対する著者の視点は、ひたすら全国を歩いた民俗学者への畏敬(いけい)の念が随所に表れている。農村育ちの宮本の「郷里から広い世界を見る。動く世界を見る」、「それ以外に自分の納得のいく物の見方はできない」との言が、民俗学の要諦(ようてい)だということになるのであろう。
 他に石牟礼道子、岡本太郎、網野善彦を取り上げているが、この3人の事跡について、著者は民俗学の側からその仕事を評価する。石牟礼の『西南役伝説』、岡本の『日本再発見』『沖縄文化論』などを詳細に論じつつ、3・11後は石牟礼のような存在が望まれるといい、そして今は岡本の紀行書の再評価こそ必要だと呼びかけている。網野史学については、列島の歴史像を、農業や農村を離れて「無主」「無縁」の非農業民的見方で描こうとしたと共鳴する。本書は民俗学の多様化と変革を促す書たり得るのではないか。
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あかさか・のりお 1953年生まれ。学習院大教授(民俗学・日本文化論)。著書に『岡本太郎の見た日本』など。