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「感情史とは何か」書評 「春はあけぼの」千年不易に問い

評者: 生井英考 / 朝⽇新聞掲載:2021年03月13日
感情史とは何か 著者:伊東剛史 出版社:岩波書店 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784000614504
発売⽇: 2021/01/12
サイズ: 20cm/234,12p

感情史とは何か [著]バーバラ・H.ローゼンワイン、リッカルド・クリスティアーニ

 近年の歴史学を主導してきたグローバル・ヒストリーこと「地球規模の世界史」。他方、新たに注目されるのが「感情史」である。
 人の心を重視する歴史研究といえばアナール学派の「心性史」が知られるが、これが英雄貴顕ではない庶民の暮らしを重視する社会史の隆盛に貢献したのに対して、感情史は時代区分の壁で隔てられた古代や中世と近代を架橋し、過去と現在のつながりを意識する。
 かつてホイジンガは『中世の秋』で「喜び悲しむ子どもの心」のように無邪気で奔放な中世像を描き、社会学者エリアスは「野蛮、残忍」な中世が「衝動から抑制へ、無作法から礼儀作法へ」と近代に変貌(へんぼう)するという「文明化の過程」論を展開した。
 こうした中世観はいまも「暗黒の中世」という決まり文句に根強いが、人の思いは今昔を通じ、千年前の『枕草子』を現代人も味わうことができる。そこに感情史は注目するのである。
 とはいえ単なる古今不易説ではない。感情を管理する規範は時代で変化し、感情を共有する集団(共同体)によってもその価値は変わる。感情の表現法(パフォーマンス)も重要だ。
 本書はこれらを四つのアプローチに整理して比較検討する史学論だが、中世の感情史研究で知られた著者が、自身の議論をも俎上(そじょう)にのせているのが読みどころ。先行研究批判にとどまらず、立論を丁寧に見比べて視点の違いを示す姿勢が気持ちよい。四つを使ってアメリカ合衆国の独立宣言文書をそれぞれ分析したら、というウィットに富んだ臨床実験(?)まで実地に見せてくれるのだ。
 実のところ学界諸分野は専門分化がはなはだしく、学際的であるはずの感情史も例外ではない。その現状を憂えながらも著者は明るく、未来の世代が触れる児童書やゲームと感情史の可能性にまで具体的に言及する。おわりに近づくほど春の夜明けのように明朗になる鮮やかな史学史である。
    ◇
Barbara H. Rosenwein 米シカゴ・ロヨラ大名誉教授(西欧中世史)▽Riccardo Cristiani 中世史家。