「乱歩とモダン東京」書評 名探偵の転居歴から見える時代
ISBN: 9784480017277
発売⽇: 2021/03/17
サイズ: 19cm/238p
「乱歩とモダン東京」 [著]藤井淑禎
乱歩はある時「ヒョイと書く気」になって書いた通俗長編に人気が殺到したことで作家仲間やインテリ読者から顰蹙(ひんしゅく)を買うことになった。評判と評価の板挟みに苦しんだ乱歩。
作品が行きづまったり、変化を求めたいなら環境を変えればいいというのが私の持論だが、名探偵明智小五郎は面白いほど次々と転居する。関東大震災後のモダンな時代の潮流と明智の社会的地位に従って、明智は間借りから高級アパートやモダンな一戸建てへと移っていく。
例えば通俗長編の一作目『蜘蛛(くも)男』事件の後、ホテル住まいからアパートへ移るが、早々に一戸建てに転居。ここで「美しい人」と新婚家庭を持つ。その後『青銅の魔人』、『虎の牙』を経て『兇器(きょうき)』では明智夫人は療養所へ。煙草(たばこ)屋の二階→開化アパートへと明智の住まいの変遷史は、世の中の動向に従って大衆読者の関心を引き付けていく。
ここから先は「開化アパート」から「文化アパート」への連想が自然に行われ、大都市の社会学というか地理学が延々と論じられ、しばらくは乱歩の小説から離れていく。気になるのは『蜘蛛男』で、東京の地理にうとい田舎出身者の私はこの物語の中心となる昭和通りと大正通りはチンプンカンプンであるが、小説で現在進行形の二大幹線道路をさりげなく登場させる乱歩のモダン感覚は時代を先行している。
ところで気になる明智夫人は? 二人の出会いは? 賊の娘だという美人に、明智が「恋し始めていた」ところから始まる。二人は『魔術師』で出会うが、結婚して、彼女が明智夫人と呼ばれるいきさつはどこにも描かれていない。やがて実は彼女は賊の娘ではないことが判明して、読者はホッとする。
本書の目線からそれてしまうが、隠しテーマは昭和モダン期の都市と明智の近代家族の終焉(しゅうえん)の物語ってとこかな。
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ふじい・ひでただ 1950年生まれ。立教大名誉教授(近現代日本文学・文化)。著書に『純愛の精神誌』など。