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「シブヤで目覚めて」書評 ハチ公前を彷徨う17歳の「想い」

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2021年07月10日
シブヤで目覚めて 著者:阿部賢一 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309208268
発売⽇: 2021/04/27
サイズ: 20cm/377p

「シブヤで目覚めて」 [著]アンナ・ツィマ

 主人公はチェコ人、ヤナ・クプコヴァー。プラハの大学で日本学を学ぶ彼女の研究とクリーマという院生との恋愛、彼女が傾倒する川下清丸という明治生まれの作家の「恋人」という短編(川下は架空の作家だが、「チェコの読者には、実在の作家と思った人が多くいたらしい」という訳者あとがきを読んでもなお、やはり実在したのではと何度も検索してしまった)、そして渋谷を彷徨(さまよ)い続けるヤナの「想(おも)い」、時代も国も異なる三つの軸が絡み合い、繊細な編み物のように本著は紡がれている。
 渋谷を彷徨う「想い」とは、十七歳のヤナが日本を観光した際、「ここに居続けられますように」と強く願ったことにより残された「想い」だ。人には見えず、眠りも食べもせず、渋谷の「閾(いき)」を越えると瞬時にハチ公前に連れ戻される孤独なヤナの分身だ。
 荒唐無稽な話に思えるかもしれないが、例えば海外の古典を読んだ時、そこにある人間関係、時代背景、その国の情勢、主人公のキャラクター、あるいはその内容が私小説的であればそこから透けて見える著者像に心奪われながら、小説の舞台となった地やその時代に、自分の魂を少しずつ残してきた気分になることはないだろうか。
 私たちは普通にここにいるように見えて、常にこれまで読んできた小説や、かつて旅行した土地、遠い過去や、いつか想像した未来、あらゆる場所に同時に存在している。この不可思議な人間の生態を、入り組んだ構造でありながら直球で表現した本書は、読書とは共感や面白さだけではなく、実存を預けられる場所を探す行為でもあることを思い出させてくれた。
 本書を読んだ後は、ぜひ慣れ親しんだ街を歩いてみてほしい。国境や時代を超え、あらゆる「想い」がそこかしこを行き交い、いたずらをしたり、苦しんだり、後悔したり、人知れず人助けをしているのを感じられるかもしれない。
    ◇
Anna Cima  1991年、プラハ生まれ。大学卒業後、日本留学。デビュー作の本書はチェコの文学賞を複数受賞。