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「海獣学者、クジラを解剖する。」書評 臭いに負けるな 謎を解くまで

評者: 宮地ゆう / 朝⽇新聞掲載:2021年10月30日
海獣学者、クジラを解剖する。 海の哺乳類の死体が教えてくれること 著者:田島 木綿子 出版社:山と溪谷社 ジャンル:動物学

ISBN: 9784635062954
発売⽇: 2021/07/20
サイズ: 19cm/335p

「海獣学者、クジラを解剖する。」 [著]田島木綿子

 誰でも知っているのに、実際に見ることはまずない。クジラはそんな生き物かもしれない。研究者にとっても謎が多く、海辺などに打ち上がる個体を解剖することが、生態を知る貴重な手がかりになる。
 国立科学博物館に勤める著者が、「海の獣(けだもの)」と人間や環境との関わりを楽しく案内してくれる。
 クジラなど海洋生物が岸辺に打ち上がる現象は、全国で年間300件近く起きるらしい。著者は情報を得ると、全国に飛んでいく。
 クジラは大きいものでは15メートルを超える。打ち上がった死体は地元にとっては突然出現した粗大ごみだ。関係機関と協議し、廃棄しないよう自治体を説得し、住民に頭を下げ、時に工事用の重機まで動員して調査する。研究対象にたどり着くまでが大仕事なのだ。
 クジラとイルカは生物学的には同じで、体長4メートル以下のクジラをイルカと呼ぶといった「目からウロコ」の話も満載。だが、読みどころは解剖の現場だ。
 大きな刃物を手にクジラにしがみつくように10人がかりで皮をはぐ様子(写真付き)は迫力満点。著者も言うように、研究者というより海の「ガテン系」だ。
 私もかつて、著者たちの解剖に立ち会わせてもらったことがある。強烈だったのはその臭いだ。解剖する部屋に一歩も入れない人もいるらしい。私は何とか持ちこたえたが、あまりの腐臭に頭がクラクラした。そんななかで解剖に没頭する人たちには心底感服した。
 研究者の情熱が詰まった本書だが、ところどころに博物館の厳しい懐事情や、職場の現実も垣間見える。
 海の哺乳類に関わる仕事には女性が多いそうだが、著者が所属する部署で常勤職員になったのは女性としては約半世紀ぶり。19人中ただひとりという。卓越した技術で博物館を支える女性職員は40年以上のキャリアだが、非常勤。クジラから生き物の多様性を学びつつ、人間の多様性のほうが心配になってしまった。
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たじま・ゆうこ 1971年生まれ。国立科学博物館動物研究部脊椎動物研究グループ研究主幹。筑波大准教授。