「バタイユ エコノミーと贈与」書評 「役に立つ」に縛られぬ人間の生
ISBN: 9784065239483
発売⽇: 2021/10/14
サイズ: 19cm/362p
「バタイユ エコノミーと贈与」 [著]佐々木雄大
背徳的で、おぞましい。『眼球譚(たん)』や『マダム・エドワルダ』のように猥雑(わいざつ)な小説のインパクトゆえ、バタイユにはそんな印象がつきまとう。彼は、非合理なものに目を向け、非―知や脱自を掲げて西洋哲学を批判した。だから学者の分析では魅力は台無し。そんな言い草も珍しくなかった。
だが近年は、若い研究者たちによる読み直しがめざましい。しかも、むしろ彼の学問や哲学に注目が集まる。本書もそんな一冊だ。
著者の語りは明晰(めいせき)で、難解な思想を論証的・分析的に説き明かしている。解釈も明快だ。本書は、「役に立つ」に抗(あらが)った思想家としてバタイユを甦(よみがえ)らせる。
読み解く鍵とされるのは「エコノミー」だ。
バタイユは、生産の観点から人間の活動を考察する学を「限定エコノミー」と呼んだ。そこでは、すべての行為は、生産の役に立つかという尺度で測られる。
だが「役に立つ」とは、目的に奉仕する手段であるということ。それ自体に内在的に価値があるわけではない。だから「役に立つ」で埋め尽くされた人生は、惨めで生きるに値しない。
こうした目的と手段の連関から脱すべく、バタイユは、計算も見返りもない浪費や贈与に注目する。性愛にも現れるように、そもそも人間は、自己の損失をも欲望し、自らを他者に与えて交わる存在だという。バタイユのいう「一般エコノミー」は、「役に立つ」には還元しえない人間の生の全体性を考察する学問だ。
当初は有用性に絡めとられていたバタイユは、いかにそこを脱したか。著者はこの問いに沿いながらバタイユの歩みを辿(たど)り、エコノミー論の展開を跡づける。
叙述は禁欲的だが、本書が伝える思想は、「役に立つ」ばかりが求められる時代に示唆に富む。石川学『ジョルジュ・バタイユ』や横田祐美子『脱ぎ去りの思考』など、魅力的に別様の解釈を示した近年の成果や、これまでのバタイユ論と読み比べるのも面白い。
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ささき・ゆうた 1978年生まれ。日本女子大講師(哲学・倫理学)。共著に『近代哲学の名著』など。