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「あなたに安全な人」書評 「人殺し」の幻聴 糾弾か希望か

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2022年01月08日
あなたに安全な人 著者:木村 紅美 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309029979
発売⽇: 2021/10/27
サイズ: 20cm/149p

「あなたに安全な人」 [著]木村紅美

 かつて中学教師として働いていたが、関東から帰郷したのち、父を亡くし一人慎(つつ)ましい生活を送る妙(たえ)。若くして上京したものの、やはり実家に戻り、兄夫婦に疎まれ母屋の裏の蔵で暮らし、便利屋で日銭を稼いでいる忍。
 排水溝の詰まりが原因で出会った二人には共通点がある。「人を殺したかもしれない」という後ろめたさだ。そして二人が出会う直前、コロナ禍で妙の近所に東京から越してきた男性も、地元の人間に敬遠され、謎の死を遂げていた。
 息を潜めて生きる二人の視点で紡がれた本書は、徹頭徹尾息が詰まるような低酸素的息苦しさに満ちている。番号間違いによりファックスから垂れ流される銀杏(いちょう)伐採反対の抗議文、敵意を剝(む)き出しにしてくる身内や近隣の住民、コロナ対策のためのペンの除菌やタオルの使い分けの徹底、コミュニケーションも食事も最低限まで切り詰められた節制生活。全方位的な閉塞(へいそく)感に、物理的に喉(のど)に違和感を感じるほどだ。
 しかし、今を生きる人には自分に対する陰口への想像力、人に迷惑をかけることへの抵抗感、未知の存在への恐怖心が根付いているはずで、内にこもっていく彼らを他人事(ひとごと)と切り捨てることはできない。人は多かれ少なかれ、人の気持ちを想像すること、自分の気持ちを想像されることを前提に生きているのだ。
 つまり私たちは、実際には何を考えていようがこの世に存在するだけで少しずつ誰かにとっての害悪であり、少しずつ人を追い詰める存在と言える。忍が何度も聞く「人殺し」という幻聴は、私たちが私たち自身に向けて放っている言葉でもある。しかし「人殺し」という言葉に込められているのは糾弾の意だけではなく、本来人は人を救うことができるのだという信頼でもあるのかもしれない。延々光のない場所へと手を引かれ、低酸素状態で見えてきたのは、そんなぼんやりとした希望に縋(すが)りたくなる己自身だった。
    ◇
きむら・くみ 1976年生まれ。2006年、「風化する女」で文学界新人賞。他に『夜の隅のアトリエ』など。