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「グローバル・ヘルス法」書評 「健康」めぐり二つの理念が対抗

評者: 犬塚元 / 朝⽇新聞掲載:2022年05月07日
グローバル・ヘルス法 理念と歴史 著者:西 平等 出版社:名古屋大学出版会 ジャンル:国際法

ISBN: 9784815810566
発売⽇: 2022/02/08
サイズ: 22cm/343p

「グローバル・ヘルス法」 [著]西平等

 国境を越える保健協力の歴史をたどった傑作だ。
 骨太な語りに魅了された。健康とはどんな状態かをめぐる、二つの考えの対抗に注目して歴史を読み解いた著者の視点が、叙述に迫力を与えている。
 健康とは病気がないこと。保健は医学や科学の課題であり、ワクチンや殺虫剤散布のような技術的手段で感染症を制する。こうした一方の考えに対して、他方には、病原体を防ぐだけではなく、健康に生きられる、衛生的で豊かな社会をめざす考えがある。生活環境、栄養や知識の状態、労働条件や貧富によって感染しやすさは変わるからだ。
 世界保健機関(WHO)の憲章は、後者の包括的な考えを採用して、「健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態のことであって、単に病気や虚弱が存在しないことではない」と定めた。著者は、この二つの理念の対抗という見取り図のもと、国際保健協力の紆余(うよ)曲折をダイナミックに語る。同じテーマを論じた新垣修『時を漂う感染症』や安田佳代『国際政治のなかの国際保健事業』と併読するのも面白い。
 周到な歴史研究ながら、いまを考えさせる記述が多いのも魅力だ。各国が過剰な入国制限をしがちなので、合理的な検疫隔離体制をつくる。これが19世紀における国際協力の出発点だったが、既視感があろう。新型コロナウイルス対策で国際協力を担うのは公私パートナーシップという仕組みだが、効率性を求めたこの四半世紀に、官民協働のこの仕組みが盛んになった経緯も本書に詳しい。
 感染症対策は医学者に任せて、その社会的悪影響を経済学者が是正する。この分業では駄目だろうか。本書が示唆するのは、感染症対策そのものに、社会と人間をめぐる学問(人文社会科学)が積極的に関わる必要である。対応すべきはウイルスだけでない。感染リスクやその格差を減らすために、メスを入れるべき社会の歪(ひず)みがないだろうか。
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にし・たいら 1972年生まれ。関西大教授。著書に『法と力』、共著に『ウェストファリア史観を脱構築する』など。