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「亜鉛の少年たち」 戦場も法廷も 人の姿つぶさに 朝日新聞書評から

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2022年09月17日
亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版 著者:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 出版社:岩波書店 ジャンル:ノンフィクション・ルポルタージュ

ISBN: 9784000613033
発売⽇: 2022/06/30
サイズ: 20cm/434p

「亜鉛の少年たち」 [著]スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

 一九七九年から八九年まで、ソ連は「国際友好の義務を果たす」という名目で、まだ20歳前後の若い兵士たちをアフガニスタンの戦場に送り、戦死したら開けられないように亜鉛の棺(ひつぎ)に密封して遺族に届けた。著者は、戦争を体験した帰還兵や看護師、最愛の子を失った母親らの言葉を聞き取り、再構成した。
 著者の手法は日本の「聞き書き」の文学にも似ていて、よく知られている。『チェルノブイリの祈り』では、独ソ戦を経験した人々が原発事故をそれに匹敵するものとして見ていること、『戦争は女の顔をしていない』では、男の下着を着るのが嫌でしょうがなかった独ソ戦の女性兵士のことなど、歴史家がとてもたどり着けないような微細で本源的な人間の姿が描かれた。本書も同様に語り手たちしか語りようのない細部が読者を抉(えぐ)るだろう。
 帰還兵たちが語る失望、悲しみ、そして戦場の惨禍は、喧伝(けんでん)された「国際友好戦士」像をことごとく崩していく。
 自分の靴下を新入りに舐(な)めさせたり暴行したりする新兵いじめ、木にぶらさがる人の耳、遺体安置所で袋に入れられた兵士の肉片、爆破によって失われた陰茎やかかと、軍隊に蔓延(まんえん)していた麻薬、銃の遊底で手を潰す自傷行為や自殺、両足のない負傷者の病室に並ぶ八本の義足、アフガンの集落で男の子や乳飲み子を手榴弾(しゅりゅうだん)で殺した胸の痛み。「人の内にある人間性なんて、ほんの一欠片(ひとかけら)にすぎない」という帰還兵の言葉に戦慄(せんりつ)を覚える。
 戦場だけではない。棺に入った父親を見た4歳半の娘が「パパ黒いよ……怖いよう」と泣き出す。最愛の息子の死後4年間、心臓発作で入院した11日間を除いて毎日息子の墓に通い語り続けた母。遺族の語りも誠実で、人間の深淵を覗くようだ。
 さらに残酷なのが、帰還兵への社会の冷たさ。手を汚したといって恋人に去られた兵士、税関で兵士から持参品を没収し、下着だけにする官吏。視力を失ったが夢の中は目が見えるから恐ろしいという兵士。人々は彼らを「アフガン帰り」と疎んじる。戦場に戻りたいと彼らに思わせるほどの世間との乖離(かいり)。
 増補版である本書は、初版出版後に本書の一部の登場人物が名誉毀損(きそん)と事実の改ざんだと著者を提訴してから裁判の結審までの経緯を、各界の反応と共に新たに収録した。背景にはあの戦争を美化したい勢力の意図が垣間見られ、原告の発言も不自然、明らかな虚偽も含まれる。法廷に立った著者が、自分を罵(ののし)る帰還兵とその母たちに語りかける姿は壮絶、胸が震えた。緻密(ちみつ)な訳業も絶品だ。
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1948年ウクライナ生まれ。ベラルーシで活動するジャーナリスト・作家。2015年にノーベル文学賞を受賞。本書は、初版(1991年)から増補、改訂を重ね、2016年に刊行された増補版を翻訳した。