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「平櫛田中回顧談」書評 近代美術界の逸話惜しげもなく

評者: 澤田瞳子 / 朝⽇新聞掲載:2022年11月12日
平櫛田中回顧談 著者:平櫛 田中 出版社:中央公論新社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784120055737
発売⽇: 2022/09/08
サイズ: 20cm/341p

「平櫛田中回顧談」 [著]平櫛田中 [聞き手]本間正義 [監修]小平市平櫛田中彫刻美術館

 平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)と聞いて、「あの彫刻家の」とすぐ思い至る方は、残念ながらそう多くはあるまい。ただ舞台をよくご覧になる方であれば、東京の国立劇場ロビーに飾られている田中の代表作「鏡獅子」をご覧になった折がおありかもしれない。
 本書は1965(昭和40)年、当時93歳の田中の口述を、美術評論家・本間正義が筆録したもの。ゆえあって未刊行とされていた原稿が、田中の生誕150年を機に約半世紀を経て出版された奇縁の回顧談である。
 田中は大阪での修業を経て1897(明治30)年に上京、高村光雲の門下となった。光雲同様に師と仰いだ岡倉天心や深い縁を結んだ禅僧・西山禾山(かさん)、はたまた「鏡獅子」のモデルとなった六代目尾上菊五郎などの思い出は活気に満ち、近代美術界の激動を眩(まばゆ)いほどに蘇(よみがえ)らせる。興味深いのは、当時の美術界の内幕までが垣間見えることで、たとえばある時、兄弟子・米原雲海の作品が宮内省に買い上げられたはいいが、実は子どもが犬にまたがった様を彫り出したその作は、鼻を削(そ)ぎ過ぎたために後から部材を接いでいた。「湿気がある頃になると取れるかもしれないぞ」という米原の困惑は、当人には申し訳ないがつい口元が緩む。
 田中は100歳を超えてもなお、いつでもすぐ作品に取りかかれるよう、手元に膨大な木材を蓄えていた。そんな彼ならではの材木や道具、伝統技法に関する逸話も読みどころの一つ。中に節がある木材の見分け方、樟(くす)や桐(きり)、榧(かや)といった木材ごとの長所と短所など、随所にちりばめられた実作者ならではの観察にはつい驚きの声が漏れる。
 岡倉天心にまつわる複数の艶事(つやごと)、「悲母観音」で知られる日本画家・狩野芳崖の死を巡る経緯など、なかなか他では読めぬエピソードが惜しげもなく披瀝(ひれき)される一方で、個々の田中作品の制作譚(たん)が豊富な図版とともに紹介される。
 日本美術界に新たな光を当てる貴重な一冊である。
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ひらくし・でんちゅう 1872~1979。彫刻家。東京芸術大教授を務める。1962年、文化勲章を受章。