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「イギリス思想家書簡集 アダム・スミス」 豊かな思想世界と人物像を知る 朝日新聞書評から

評者: 犬塚元 / 朝⽇新聞掲載:2023年02月11日
アダム・スミス (イギリス思想家書簡集) 著者:アダム・スミス 出版社:名古屋大学出版会 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784815811075
発売⽇: 2022/12/13
サイズ: 22cm/461,15p

「イギリス思想家書簡集 アダム・スミス」 [著]アダム・スミス

 電力や仕事率の単位に今も名を残すジェームズ・ワットは、蒸気機関の改良で有名だが、複写機の考案者でもあった。初老のアダム・スミスは、ワットの複写機を発売直後に入手する。
 そんなトリビアも伝える書簡集だ。スミスが書いた手紙のうち、現存するほとんどすべてが日本語で読めるようになった。
 本書を読むにあたって、私には、ひとつの問いがあった。
 スミスの書いた手紙は事務的で、実質的な議論に乏しく、親友デイヴィッド・ヒュームの書簡と比べて、無味乾燥で面白くない。そのように評した専門家もいるが、本当なのだろうか。
 この問いに「ノー」と語る手紙は、すぐにいくつも見つかる。なかでも、ある医学教授に宛てた長い手紙が印象に残った。
 話題は、医学博士の授与はいかにあるべきか。スミスは、学位の乱発や売買という、それ自体では擁護しかねる慣行が、むしろ、業界団体による独占の弊害を正していると語る。博士を増やすことで、謝礼額を抑えている。学位の有無によって医師を判断してはならない、と人びとに知らしめる効果もある。
 スミスの独占嫌いはよく知られるが、見るべきはそれだけではない。ここには、誰にでもすぐに分かる善悪だけを見て判断を下すのではなく、視野を全体に広げて、複雑な影響関係の網の目に目配りする、スミスの複眼的な思考がうかがえる。スミスといえば、『国富論』と『道徳感情論』の2冊をふまえて、人間観は利己的か利他的か、という語りばかりが繰り返されてきたが、本書には、そんな紋切り型には収まりきらない豊かな思想世界が広がっている。
 2冊の著作を読んだだけでは分かりづらい、人となりも浮かびあがる。自他共に認める筆無精。原稿執筆は遅く、何度も書き直した。冷静沈着なイメージだが、癇癪(かんしゃく)も起こしたらしい。晩年は「植物学」や「模倣芸術」にも研究対象を広げて、研究の合間には「海岸を一人でゆっくりと散歩すること」を楽しんだ。
 ハイライトは、ヒュームとの友情や信頼関係を伝える一連の書簡だろう。二人は、スミスが「一緒に将来の生活プランを決定しましょう」と語るほどの仲だ。スミスは、病やルソーとの諍(いさか)いにどう処すべきかも、この年長の友人に助言している。
 スミスやヒュームを読もうにも、これまでの翻訳は直訳調が多く、専門家以外にはハードルが高かった。本書は、翻訳も内容も、他著作と比べてとても分かりやすい。丁寧な訳注や要約も読者に親切だ。生誕300年を迎えたスミスの入門書として読むこともできる一冊だろう。
    ◇
Adam Smith 1723~1790。英スコットランド生まれ。「(神の)見えざる手」で知られる古典派経済学の創始者。英グラスゴー大の元教授。著書に『道徳感情論』(1759年)、『国富論』(1776年)など。