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「マチスのみかた」書評 憧れの画家の神髄を生き生きと

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2023年06月10日
マチスのみかた 著者:猪熊 弦一郎 出版社:作品社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784861829703
発売⽇: 2023/04/18
サイズ: 21cm/207p

「マチスのみかた」 [著]猪熊弦一郎

 全編、猪熊さんはマチスから1ミリも離れない。長い間私淑した憧れのマチスに会いに行くが、マチスの第一声は猪熊さんのピカソばりの絵を見て「この仕事は賛成できない」。また別の絵(デッサン)を見て、「うますぎる」。額縁に入れた絵には、「額縁に入れて美しくみえるようではだめです」とコテンパン。そんなマチスが、花瓶の花や木を「どう描いていいのか自分にもわからない」という。
 さあ、絵とは一体何でしょう。かつてマチスが尊敬していたルノワールに会って自作を何点か見せた時、ルノワールから「正直いって、あなたの絵は好きになれない。まあ大した画家ではなく下手な画家だ」と、猪熊さんがマチスに言われたように、マチスもルノワールに言われたという、歴史が繰り返されるようなエピソードを読んだ記憶がある。
 何をいわれてもびくともしないどころか、ますますマチスに没入していく猪熊さんの粘着は狂気的だ。マチスはデッサンを繰り返し描き続け、自然を見つめ、赤裸々な人間世界にこだわらない純粋な美の仙境にたどり着く。そんなマチスの秘密の花園にとことん進入していく猪熊さんは美の探検隊のようだ。
 マチスは本番の油絵を描く前に儀式のように、何枚も何枚も描く。ピカソのエイヤッ!と一気呵成(かせい)にアスリートのように描き上げる神業とは対照的に、研究に研究を重ねてとことん納得のいくまで、とはいってもまるで未完のまま完結させてしまうその創作の魔力に、自然への理解を通して自らの肉体にまで同化させるマチスの絵の存在に、猪熊さんは圧倒されながら、自然こそ抽象であるという境地に到達していくマチスの悟りに、子供と同じ天国に通じるマチスの不敵の画境に、死ぬまで追求した自身の人間性に、猪熊さんは芸術の神髄を見て、われわれにそれを伝えようとするのである。
    ◇
いのくま・げんいちろう(1902~93) パリ、ニューヨークなどで活躍した洋画家。具象と抽象の間で独自の表現。