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「無限角形」書評 報復の連鎖に投じる美しき物語

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2023年07月22日
無限角形 1001の砂漠の断章 著者:コラム・マッキャン 出版社:早川書房 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784152102300
発売⽇: 2023/05/01
サイズ: 20cm/685p

「無限角形」 [著]コラム・マッキャン

 息を呑(の)むほど美しい物語だ。鳥がふわりと着地する瞬間を捉えたような、優雅で洗練された美。だが本書が描くのは75年続くパレスチナ紛争の血塗られた歴史だ。戦禍のなかに生起する美とは、小説というアートの役割とはなにかを、読者に深く考えさせる。
 ハマス分離派による自爆テロで娘を亡くしたイスラエル人のラミと、イスラエル兵に娘を射殺されたパレスチナ人のバッサム。分離壁に隔てられた2人の父親はやがて固い友情で結ばれ、自らの経験を世界の人々に伝える使命を見いだす。『千夜一夜物語』に倣い、この驚くべき実話を軸にした1001の断章が、円環を描くように配置される。領土や境界を持たない渡り鳥と流れる水、ピカソやボルヘスやフィリップ・プティらのアート、大災厄(ナクバ)、原爆、ホロコースト。聖書の時代から現代史までのあらゆる時空と場所の断片がジグソーのピースのように嵌(は)め込まれ、あらゆる点への到達を可能にするものの象徴としての無限角形(数えられる無限の辺を持つ幾何学的な形)の内部に読者を引き込んでいく。
 あるパレスチナ人作家は、本作を植民地主義の再生産だと批判する。この物語はパレスチナの苦難を感動の美談に変え、消費し搾取しているのか。だがそんな批判も、作者は覚悟の上だろう。ラミの信条にあるように「話し合わなければ、終わらない」。沈黙は暴力だ。だが沈黙でしか語りえないものもある。繰り返し話を続けるしかないとラミは思う。だが報復もまた繰り返される。あらゆる事象に対立が含まれる。
 同時多発テロの直後、米の作家ドン・デリーロは、テロリストの物語に対抗する物語を描くことが小説家の使命であると述べた。人間を殺すシステムへの対抗を本書ほど果敢に語る作品を、私は読んだことがない。本書が世界に何を投じたのか、彼らが語る話を聞いて、あなた自身で判断してほしい。
   ◇
Colum McCann 1965年生まれ。『世界を回せ』で全米図書賞。ほか『ゾリ』など。米ニューヨーク在住。